旧正月前学生連中と喋くってたら、チョウザメとかタツノオトシゴ泳いでる生簀の海鮮料理屋でも鯨とか海豚(ほら!変換でも豚ってw)料理出てこんな、全員えぇ〜!とかあったわけだ。オレにいわせると、にゃにがえぇ〜かよ、海鮮料理屋にだってビールの御摘みにどうぞってな感じで蚕蛹がうにょうにょ生で陳列してあんじゃん。それ姿煮でぱくついてんじゃん。ご存知「狗屋」もあるしな。で、水産庁の小松さんだっけの新書読んだの思い出しながら、自分では結構説得力ある話をしたつもりだったのだが、連中すぅ〜っと変な顔してたな。まぁ南方限定で大連の連中には当て嵌まらないのではあるが「飛んでるモンは飛行機以外、四足んモンは机以外」なんてなこといわれちゃおる連中に、そんな顔で見られたくねぇ〜わな。ビジネス日本語なんて銘打ってるけど、そんな言語とか教育なんてなこたぁハナッカラ興味ないし、話してても連中も、こういう表現が良くてあれがダメっつー裏側っていうか本質かな、つまり比較文化のことなんだね、興味あって知りたいのわさ。こういう価値観があるから当然こんなこたぁ言えないまたはこういうべきでしょう、ってなことですね。塾長がおもろしい例え言ってたな。「女っていっちゃダメよ。おんなはカラオケシャオジェのことだからネ。女性って言いなさい!」にゃるほろ、わかり易い。男は紅顔(古い用例で)を求め、女は毛顔(100元札)を求める、かぁ。「深くて長い河があるぅ〜♪」ってこういうことだったのネw
ま、そういうわけで鯨関連調べたがあんまり出てこない。たまたま水産庁HPにあたったので捕鯨班ってとこにメール出して、ついでにBBSにカキコしといた。昨夕返事来てたな。早速お奨めのサイトを巡ってみやした。う〜む、中々これも奥深いですなぁ〜。
http://luna.pos.to/whale/jpn.html
日本鯨類研究所 国際関係担当 三崎滋子さんの論考、全部プリントアウトして読んでます。これ、それなりに纏めて喋くりの大きな材料にしよう。やっぱりある程度数字出さないと説得力ないからね。BBSにも返事らしきものがあったな。「中国のくじら」ってヨウスコウカワイルカのこと書いてあった。テレビで見たような気がするな。100頭から200頭レベルまでしか生存確認されないらしく、絶滅種なのにコレ食ってるみたいだナw 水産庁がチャイ政府と組んで「本来の保護運動」を始めるらしい。ついでに、北も貰おうとばっかしてないで、沿岸のツチ鯨でも食ってみればいいじゃん、狗とかジャガイモばっかに拘んねぇでさ、あ、狗はもう食いつくしちまったか、ってなこと書いておいた。
**********8:55
そっかぁ、今日は日露戦争開戦100周年なんだぁ。
でも今日10日は明治天皇開戦詔書奉戴日(宣戦布告したんだろネ)で、戦闘は2月8日夜半の旅順(オゥ!)港外のロシア艦隊泊地攻撃と朝鮮牙山港進入、2月9日仁川港外でのロシア鑑隊との交戦に始まった、と産経新聞正論に小堀先生が書いてるネ 旅順は車で45分だし仁川は大連港から280海里16時間だね。でもこれは海戦だからな。陸戦は、こっち方面はご存知乃木希典第3軍が6月1日宇品出港、6日張家屯上陸、6月26日歪頭山・剣山攻撃開始。8月19日第1回総攻撃...と映画「203高地」の世界になっていくわけだナ。石光真清の手記(中公文庫)4部作とか、「坂の上の雲」にネ、読んだらやっぱりまず旅順行きたいわけヨこっちいるんだからサでもしっかり公安wに注意されるってわけ。私の場合は観光Lから駐在Zにビザ切替る時にしっかり言われたな。観光案内にも地元サイトでも注意呼びかけてるしね。行けても東鶏冠山と水師営くらいで、203高地(No.203 Plateau 后石山保塁The Rear Stone Hill Fort)には行けんのかしらん。大体が正式には、旅順駅とか旅順博物館とか行くには公安に届け出て許可もらわんきゃならんはずなんだよね、たしか。要するにここは現役軍港ってなわけなのだ。でもここって観光以外に売りモンないから、チャイ国内からは観光客呼んで来てわずかに潤ってるみたいね。大連駅前なんかの旅行会社は1日旅順観光売りモンにしてるけど、うっかり日本人がそれで行ったらヤバイんだろね。とかなんとか言っても知らんモンはつおいwんで、7月最初に大連に来たときゃ「ずえったい、旅順に行きたい!」ってネ そんな長居すつもりまるっきし無かったもんでサw 地元のちょい取引先(こっちがお客の沖仲会社)の女将案内のニョウボの運転で行ったのだが、こっちは極めて神妙かつ厳粛な気持ちでむこうとんのに、またまたお手伝いさんが旅順の妹の嫁ぎ先にちょいお泊まりってなことで同乗したもんでさうるちゃいうるちゃい。さらに、大連(旅順)南路使えば45分で着く(帰り分ったw)ところを、その会社のリクレーション兼ねてたらしく旅順北路だか中路だか知らんが、ちょうど修善寺から伊豆の山んなか走るみたいに、まぁ、あんなに片側谷底ってなふうでは幸いなかったが、くねくねかつアップダウンの永久運動wで4時間以上かかってポコっと出たところが、だたっぴろい高速道路みたいな一般道路で(自転車とか驢馬荷車一緒に通行中wで判明)「水師営会見所旧址」なんてなでかい標識にあったんだナ。もうその頃はどっちらけ状態でサ。な〜んも感慨湧かんもんね。また旅順市内に入ったらケバイ建物眼について(どうも新市街らしい)、街角にゃ俄ガイドのおばちゃんが立ちんぼwで、停車して地図見比べてたら乗ってきやがったw チャイニーズが観光でけっこーくるんだろね、この様子じゃ。ドサクサ紛れリャどこも行けるってこんですわネw でもそんな無関係人らの観光やないんで、すぐに降りろ!ってんで「けぇ〜るゾ!」って一言、中途半端な女将案内人途中で降ろして地図見て南路を帰って来たってわけでした。あんな山んなかのリクレーションセンターに泊まるつもりみんなないし、かと言って街燈なしのクネクネ山道を初心者のニョウボが運転して戻ってくるなんて至難だろって言ってみんな納得した次第。そして明るいうちに帰宅できる時間を差引いてすぐに出発したのだが、来た道逆行するの急遽止めて観光客のオレが観光地図見ながらナビゲートして図らずも南路帰ってきたら、45分後には家で寛いでいたwってなことでしたのね。Lビザでどうせ帰国するんだからそんなんでもよかったけど、今はZだしね、慎重にやらんとカッコ悪いからさ。8月19日第1回総攻撃。このあたりに塾の生徒達のレクレーションってなことで、ご同行させていただくってなことにいたそうかなとかいまんとこ考えておるのでありました。  

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