2月15日日曜日。在大連5ヶ月目か。約束なので8時30分に塾のあるビルに着く。1階フロァーが改修中だったので3階語学学校受付の椅子に座って待っていた。この小さなビルは、銅鑼湾(コーズベィ)グループの商業ビル・ホテル・デパート連棟再開発地域のすぐ昆明街挟んだ裏手にあるのだが、まもなく開業するこの香港資本に買い占められて取り壊されるような気がするな。場所がいいから。マイカル・瑞西ホテルまで5分かからないし、旧西広場の友好広場(でかいサッカーボール発光オブジェwある)から天津街(旧浪速町)へも中山(旧大)広場へも、徒歩10分くらいで行けるでしょう。中銀大厦の会社から中山広場突っ切ってゆっくり歩いて15分かからないもの。
9時ジャストに男性一人やって来た。塾長は知ってるようだったが、こっちは初見。10分待ってもやってこないので始めた。大連軟件(ソフト)園(パーク)にできた新しい私立大学の在学生のようだ。ハルビン工程(これが工業だった重点=一流校w)大學卒業したとか言ってたようだから再入学(学士入学?)というわけかな。この私立大学は、後で地図で調べたのだが、大連東軟信息技術総合学院・東北大学東軟信息技術学院(違うの二つあるのかな?英文じゃNeu?(New) Dalian Oriental Instute?(Institute) Of Imformation Technologyって一ヶしか書いてないw)とかいうらしい。以前SAPIOでちらっと見たのだが、大前研一の会社が投資して一枚噛んでるとこだったと思う。つまりソフト屋さんの養成所かな。流行りの情報工学だかなんかの学士号が出るそうな。彼がそう言ってたらしい。大連外国語学院も、東京コンピュータ学院だか京都何とかという同じような名前の専門学校と組んで、旅順方面にそのような学校を作るらしい。調べてみたら、ココは大連ソフトパーク第1期工事地区で、理工大學の東側3平方キロメートルを1998年つまり5年前から開発してたらしい。昨年の2月末に日本のC○Kが子会社設立したようだ。また昨年5月から第2期工事が始まって、それがさらに奥地wの旅順南路ソフト産業地区というわけで、そこに後発の大外が新規学部を作るというわけだな、多分。
ここの宣伝文句を読むと「特に日本に輸出するソフトに重点を置く」とか書いてある。専門科目に英語に日本語ですか、大変ですね。9時半にぞろぞろやって来た。別に知り合いが申し合わせてこの時間にやって来たのではないようである。
一人年取ったw(要するにオツム薄い)男性がいて結構喋れる。自己紹介させたら新潟大学人文学部経済学科院卒だそうである。修士論文は?「中国に於ける日本企業の実態」w 随分大まかだねぇ〜、いや、おカネなかったんで机上でマトメましたw正直ですね、ハイ。私の生れ在所のお隣なんで、私の高校の同級生は貴方の先輩いっぱいいますヨ、え!名前言って下さいってw だってみんな51歳だからサw そうですねぇ(因みに彼は31歳独身)ってな感じで新潟話で盛り上がりました。
このクゾ寒い大連で育っても、やっぱり新潟の雪にはびっくりしたそうですw 湯沢の毎週の新幹線使ってのスキー行の話をしたら、彼は一度苗場行ったことがあるそうです。こっちの人、スケートできるがスキーはからしきだもんネ。昨年暮れにやっと纏めて2箇所人工降雪スキー場ができたのだが、500mのゲレンデだもんでしてw おぢさんはネ、かつてほっけーどーのルスツっつーとこで、総延長42キロメートル滑ったことあるんすよ...ってもわからんネw
もう暖かくなってしまったけど、コッチハほとんど降らなかったものねぇ。
帰ってきて会社やったらしいが、損はしなかったがあまり儲からないwので会社勤めし始めたらしい。みんなやることやるから儲からないんじゃないのwって、やっぱり今も同じような流行りの日系ソフト会社に勤めているということである。在日3年でも聴解・会話は不自由だそうだ。勉強(読書)で忙しかったということであったネ。仕事ぶり自体は結構信頼されているようだが、日本人の上司に貴方は日本語がもう少しねぇとか言われて、何とかしたいということでやって来たと言っていた。
彼だけが午後もいいですかと言うから別にどうぞということで、一緒に昼ご飯食べて、午後からは新規3名の計4名で親しく話した。この位だとしっかり一人一人のクセとか直せるネって言ったら、それじゃ経営的に合いません!って塾長に言われた。ごもっともでございますw 日本の院出てても現地採用だとかなり安いってなことわかった。ただ日本生活経験のある彼はそこいらの比較はできるようであったが、他業種の連中との話題はもっぱら給料のことのようで、ただね現地生産の車が40万じゃどうなんだって余計なこと言ったらしぃ〜んとなってしまった。住まいだってちょいとマトモなとこ欲しいってなったら、それどころじゃないもんネ。
5時15分お開き。いつも卸し値段でタバコ買って来てくれる彼女が、晩飯奢ってくれるってことだ。この前私が出したから気を使ってるらしい。後で地図みたら「中国城」ってバー・クラブの隣wの。地元レストランに連れていってくれたんだね。タクシーで6時前に着いたのだが、さすが日曜日で混んでいた。味がいいので地元じゃ評判の店だそうだ。入ってる客でわかるネ。枝豆出てきたんでそれぱくついた。帆立と牡蠣。羊串焼いて食べた。ビール2本で眠くなっちまった。相変わらず愛想なしの7時お開きw 何かイワク有り気な雰囲気なんでちょいと散歩することにした。真っ直ぐ前方に友好広場シンボルwサッカーボルが見えた。魯迅路だったんだネ。ちょい行ったら大連日報社(旧満洲日日新聞)。ココ知ってる。左手に大連鉄道公司。これが旧満鉄本社。魯迅路横断して正面に行った。石畳が歴史を感じさせる。いつもの2002年プレートじゃなく石碑があった。今度来て写真撮ろう。チンチン電車のレールが敷いてあった。コレ乗りたいw なぁ〜んだこんなのに興味あるんだ、塾長向かいに日本時代の文献館あるんだから、って教えてくれた。また横断してそこ行った。ちっさいけどそれらしい建物で、特に中ちらりと見えたのだがいい感じ。ココも石碑に日本語で説明あったようだ(暗くてミエンw)。ここの歩道も石畳でカッコイイw ちらりと上見たら、なぁ〜んだ会社のすぐ裏手じゃんかぁ。China Bank Plazaは28階建て。けばいデカサwじゃないんだが、その縁に青いネオンが仕込んでwあって、夜はけっこぉ〜ケバイw だからすぐわかったネ。あれ?まだ7時ちょい過ぎなのに、ビル真っ暗じゃんか!おし、ちょっくら会社いったる...って、今日は日曜日でありますた。寒くなってきたのでタクシー拾った。唐山街の塾長んち前まで送って行った。話しにゃ聞いてたが「山手」wだった。登りきるまでの右手の古い一軒屋(ってお屋敷)が歴史を感じさせた。満鉄上層部のお屋敷跡らしい。今度昼間来てみよう。下ってまた唐山街に出て、今夜のうんちゃんは中山路(旧常磐橋通り=メインストリート)に出た。この通りだけ、密に設置したアカシアをデザインした街路灯が滅法明るい。オリンピック広場を左手に珠江路ちょい行き左折同泰街、突当たり西崗区と沙河口区堺の東北路をちょいと上ってすぐ左折。ここからは手で指図しなきゃならん。もう慣れたもんで、はい!次ぎ左。次ぎ右。んでそこの入り口ネで、むこうはしっかり頷きながら到着いたします。こっちのタクシーって基本的に助手席に乗るようだから、そうしてるしその方が指示しやすいネ。ガードマン諸君ももう顔見知りで、「はい!こんばんわ。」って回転ドア回して入ると一斉ににゃにやら言ってくれる。多分おかえんなさい!ってなとこだろう。
*********追記PM9:50
久しぶりに見たよな気がする。
http://homepage.mac.com/naoyuki_hashimoto/iblog/C1570102516/E323817048/index.html
口先へーぞー、メロンへーぞー、アンドリュー竹中...
リチャード・クーが見れないからなぁ〜。

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