黒龍江(アムール川)からの流氷、北海道オホーツク沿岸最盛期
2004年2月19日http://www.sankei.co.jp/news/040219/sha092.htm
北海道オホーツク海沿岸も流氷が最盛期のようです。
この流氷はアムール川(黒龍江=ヘイロンジャン)からのものなのですね。河口は樺太北の間宮海峡向かいのノコラエフスク・ナ・アムーレですか。尼港(ニコラエフスク=にこう)事件のあったところですかね。そしてこの流氷が、樺太と千島列島の間のオホーツク海を南下して、北海道沿岸に辿り着くというわけですね。
地図を見てると飽きないです。特にこの辺りですね。旧満洲国と、旧露西亜帝国に旧ソ連邦と、旧モンゴル人民共和国(でしたっけ)です。そのアムール川の河口ニコラエフスクから遡行すると、ハバロフスクですね。ここでウスリー川が分岐するのかな。ウスリー川の河口は日本海のウラジオストークですか。これ、ウラジ・ヴォストーク(東方を占領せよ!)でしたっけ。それでそのハバロフスクからアムール川(チャイ名が黒龍江)の上流にスンガリー(松花江)合流点があるのかな。そしてスンガリーを遡行するとハルビン(哈爾濱)に至るわけですネ。戻ってさらにアムール川を遡ると、チャイ側が黒河(ヘイホー)でロシア側がブラゴベシチェンスクです。でかい橋が架かっていて国境貿易が盛んであると聞いてますね。冬期間は川が凍結して重い荷を積んだ馬車(今は車でしょう)が行き来してるらしいです。更に遡行すると、シルカ川とアルグン川との合流点が漠河(モンホー)で、ここ2川が合流してアムール川になるように地図では見えますネ。
チャイ側は大興安嶺山脈が聳え立っておりますです。
留学生の若い知人が、冬休み最後の1週間でこの辺りを旅行してくるらしいのです。海拉爾(ハイラル)→満州里(マンチョウリ)→漠河(モンホー)→黒河(ヘイホー)...なんて地名を聞いただけで、ボゥ~っとしてしまいます。映画「203高地」の冒頭のシーンですね。ハルビン郊外で日本人密偵が銃殺されるシーンです。これと石光真清の手記(中公文庫4部作)ですね。個人と国家が捨て身になってですね、それも女郎もですね、満洲馬賊の妾に身を落としても、お国のために尽くすわけですわ。最初コレ読んだ時は、な〜んかなぁとか思ったんですけど、まさに衒いなく淡々と書いてありましてですね。
ちょいとホントかいなと思ったのは、満洲に流れてきたと思しき乞食坊主が日露戦争開戦するやいなや凛々しい陸軍服を纏い馬上の指揮官となって主人公の前に姿を現すんですねw。何か劇画タッチなんで、ふ〜ん、昔怪傑ハリマオとか似た感じで見たねぇwとか思ってたのです。しかしその後、独眼竜政宗の子孫が満洲馬賊の頭領になった話やら、おらが大将田中義一首相が馬賊張作霖を助命して挙句満洲軍閥の大元帥になったとかの話を読んだりすると、明治人のスケールをケチナ戦後民主主義ドップリのチンケな物差で計ろうとすること自体無理なのかも、とか思ったりもしていたのでした。
1991年でしたっけかしら、ニッパチの閑利用してニョウボの仕事始めのテコ入れ兼ねて生れて初めてチャイナに行きました。当時は成田から朝鮮半島上空直行できなかったので、一旦上海上空へ出て北京に向かうのでした。4時間ちょいかかったのではなかったでしょうか。夏休みの観光も兼ねていましたので、北京には2・3日逗留したと思います。タクシー一日借り切ってフートンとか見て回りましたネ。北京空港から市内までの柳のトンネルの道が印象的でした。道路沿いは小さな川が流れてましてネ。確か未舗装のうえ上下1車線づつで、対向車とすれ違うときははらはらした記憶ですね。もっとも交通量が少なかったし、それ以外はのんびり結構長い時間走った記憶です。
国内便で朝方ハルビンに向かいました。低空を飛行したので万里の長城もよく見えて景色を見ているうちにすぐ着いてしまいましたね。小さな空港でしたが、ロシア行きの特徴のあるアエロフロートが沢山あったのが印象的でしたです。ロビーにはでかい買出荷物を抱えたロシア人が沢山いましたです。まだ新潟との便など無いときでした。国際便はロシア向けだけでしたですね。
***********PM9:45
北海道オホーツク海沿岸も流氷が最盛期のようです。
この流氷はアムール川(黒龍江=ヘイロンジャン)からのものなのですね。河口は樺太北の間宮海峡向かいのノコラエフスク・ナ・アムーレですか。尼港(ニコラエフスク=にこう)事件のあったところですかね。そしてこの流氷が、樺太と千島列島の間のオホーツク海を南下して、北海道沿岸に辿り着くというわけですね。
地図を見てると飽きないです。特にこの辺りですね。旧満洲国と、旧露西亜帝国に旧ソ連邦と、旧モンゴル人民共和国(でしたっけ)です。そのアムール川の河口ニコラエフスクから遡行すると、ハバロフスクですね。ここでウスリー川が分岐するのかな。ウスリー川の河口は日本海のウラジオストークですか。これ、ウラジ・ヴォストーク(東方を占領せよ!)でしたっけ。それでそのハバロフスクからアムール川(チャイ名が黒龍江)の上流にスンガリー(松花江)合流点があるのかな。そしてスンガリーを遡行するとハルビン(哈爾濱)に至るわけですネ。戻ってさらにアムール川を遡ると、チャイ側が黒河(ヘイホー)でロシア側がブラゴベシチェンスクです。でかい橋が架かっていて国境貿易が盛んであると聞いてますね。冬期間は川が凍結して重い荷を積んだ馬車(今は車でしょう)が行き来してるらしいです。更に遡行すると、シルカ川とアルグン川との合流点が漠河(モンホー)で、ここ2川が合流してアムール川になるように地図では見えますネ。
チャイ側は大興安嶺山脈が聳え立っておりますです。
留学生の若い知人が、冬休み最後の1週間でこの辺りを旅行してくるらしいのです。海拉爾(ハイラル)→満州里(マンチョウリ)→漠河(モンホー)→黒河(ヘイホー)...なんて地名を聞いただけで、ボゥ~っとしてしまいます。映画「203高地」の冒頭のシーンですね。ハルビン郊外で日本人密偵が銃殺されるシーンです。これと石光真清の手記(中公文庫4部作)ですね。個人と国家が捨て身になってですね、それも女郎もですね、満洲馬賊の妾に身を落としても、お国のために尽くすわけですわ。最初コレ読んだ時は、な〜んかなぁとか思ったんですけど、まさに衒いなく淡々と書いてありましてですね。
ちょいとホントかいなと思ったのは、満洲に流れてきたと思しき乞食坊主が日露戦争開戦するやいなや凛々しい陸軍服を纏い馬上の指揮官となって主人公の前に姿を現すんですねw。何か劇画タッチなんで、ふ〜ん、昔怪傑ハリマオとか似た感じで見たねぇwとか思ってたのです。しかしその後、独眼竜政宗の子孫が満洲馬賊の頭領になった話やら、おらが大将田中義一首相が馬賊張作霖を助命して挙句満洲軍閥の大元帥になったとかの話を読んだりすると、明治人のスケールをケチナ戦後民主主義ドップリのチンケな物差で計ろうとすること自体無理なのかも、とか思ったりもしていたのでした。
1991年でしたっけかしら、ニッパチの閑利用してニョウボの仕事始めのテコ入れ兼ねて生れて初めてチャイナに行きました。当時は成田から朝鮮半島上空直行できなかったので、一旦上海上空へ出て北京に向かうのでした。4時間ちょいかかったのではなかったでしょうか。夏休みの観光も兼ねていましたので、北京には2・3日逗留したと思います。タクシー一日借り切ってフートンとか見て回りましたネ。北京空港から市内までの柳のトンネルの道が印象的でした。道路沿いは小さな川が流れてましてネ。確か未舗装のうえ上下1車線づつで、対向車とすれ違うときははらはらした記憶ですね。もっとも交通量が少なかったし、それ以外はのんびり結構長い時間走った記憶です。
国内便で朝方ハルビンに向かいました。低空を飛行したので万里の長城もよく見えて景色を見ているうちにすぐ着いてしまいましたね。小さな空港でしたが、ロシア行きの特徴のあるアエロフロートが沢山あったのが印象的でしたです。ロビーにはでかい買出荷物を抱えたロシア人が沢山いましたです。まだ新潟との便など無いときでした。国際便はロシア向けだけでしたですね。
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