大慶(Daqing)油田への旅(想ひ出)...老化現象現るw
2004年2月21日新聞ウェブ版読んでいたら、こんな記事に目が留まった。
「大慶油田 対日輸出停止、取引の終結も/需要増背景に常識外れの値上げ/電力各社調達先は多様化...影響なし」
2度目のチャイ行きは、ココが主要目標だったなと思い出した。陶器メーカーと同じ名前の油絞機メーカーご指名の上での、新規機械のご注文であった。
既に1年ほど、ここで使用していた自動クレーンの定期部品調達で実績を積んでいたので、本体の注文がやって来たというわけだった。最初のクレーン車の部品調達に関してもエピソードは尽きない。法律職などと、全く畑違いの分野の人間が、いきなり正式な注文書持って会社に乗り込まれた品川の加○製○所(K○T○)の部品担当者も呆れていたが、こちらの方が実はもっと呆れていたのであった。何せえらい畑違いの仕事なので、多少手加減してくれるカナと思っていたのだが、最初から300点以上のそれもクレーン車の消耗部品の注文であったからである。当然定時注文受けている商社は、注文見越して見積依頼しているわけで、メーカーとしてはそこから1ヶ月以内に正式注文なければこちらに見積書出すとか言われて、最初の仕事はとにかく見積書取るだけでも1ヶ月以上かかってしまったのだった。おまけに本業が忙しくて細かい仕事やってられなかったので、同じビルにたまたま入っていた中堅商社タイ支社長最後で退職した一匹狼みたいなのを「貿易コンサルタント」なるもので雇ってしまったので、結局最初の仕事は儲けのうち250万円ほどそいつに支払うハメになってしまったのであった。私とニョウボとしてはw、最初の仕事をとにかく纏めて実績作るのが第一目標だったからかまわなかったのだが、所詮小ガネモチに過ぎない本職がブ~ブ~いって実際参った。
しかしメーカーも担当者など所詮自分の仕事がスムーズに運べば(入金確実早ければ)良いわけで、2度目からは見積もえらい早くなったしまたこちらが前金で口座に入金されている事情がわかってからはそれこそ向こうから営業してきたものであった。こっちも本業の閑を見つけては両国の同業他社東京本社へと出向いたりしていたから、その噂は早いもんである。ここはチャイ後発組だったからか、ホントに扱いが丁重で気持ちよくいい仕事ができた。今でも、ロシア担当になっているらしいがその人間達とは付き合いがるということだ。反して加○の方は、その若い担当者が90年に入って自社クレーンがマイナーチェンジしてるの失念して古い型の部品それも350キロのでかい部品を送ってしまって泣きついてきたことがあったわw。たまたま前の商社の扱いでそれでもこっちに泣きついてきたものな、ニョウボの人徳でしょうw。結局北京行きのジャyンボ・カーゴみっけて無理やりのっけ、そっからトラック輸送(北京→大慶w)して損害賠償はご勘弁願った次第。当然前に送付したヤツはてきとーに使ってネ、ですよ。高いんでなんとか逆送してもらえませんかぁとか言ってきたらしいが、さすがにニョウボどなってましたワ。他の会社の仕事の尻拭いタダでやってアゲテ、また損賠払わなきゃならんのパスできたのに、コレ以上ナニよぉ〜ってネw。この頃はもう、実質社長でしたね。後は、銀座の三○銀行に仕事行ったついでに日○本社に行かされたりw、よくコキツカワレまひたですた。
*********PM7:50
ホントは、日窒コンツェルンの野口遵について書いて、もし彼が満洲でコノ油田発見して開発していたら、蘭領東インド(インドネシア)に南進することもなかったかもしれなく、「太平洋戦争」も無かったかもしれない、なんてな妄想を書きたかったのだが...チャイ戦線は連戦連勝だったので、当然赤軍なんてもんは存立の余地無く、蒋介石なんぞも靡いてて「満洲合衆国」は大発展。...ってなこと小説したかったなぁ〜とか、でもおぢいさんwは、もう眠いんですた。...そろそそ夜あすびおぼえんと、ホントにぢいさんになっちまいソダ
「大慶油田 対日輸出停止、取引の終結も/需要増背景に常識外れの値上げ/電力各社調達先は多様化...影響なし」
2度目のチャイ行きは、ココが主要目標だったなと思い出した。陶器メーカーと同じ名前の油絞機メーカーご指名の上での、新規機械のご注文であった。
既に1年ほど、ここで使用していた自動クレーンの定期部品調達で実績を積んでいたので、本体の注文がやって来たというわけだった。最初のクレーン車の部品調達に関してもエピソードは尽きない。法律職などと、全く畑違いの分野の人間が、いきなり正式な注文書持って会社に乗り込まれた品川の加○製○所(K○T○)の部品担当者も呆れていたが、こちらの方が実はもっと呆れていたのであった。何せえらい畑違いの仕事なので、多少手加減してくれるカナと思っていたのだが、最初から300点以上のそれもクレーン車の消耗部品の注文であったからである。当然定時注文受けている商社は、注文見越して見積依頼しているわけで、メーカーとしてはそこから1ヶ月以内に正式注文なければこちらに見積書出すとか言われて、最初の仕事はとにかく見積書取るだけでも1ヶ月以上かかってしまったのだった。おまけに本業が忙しくて細かい仕事やってられなかったので、同じビルにたまたま入っていた中堅商社タイ支社長最後で退職した一匹狼みたいなのを「貿易コンサルタント」なるもので雇ってしまったので、結局最初の仕事は儲けのうち250万円ほどそいつに支払うハメになってしまったのであった。私とニョウボとしてはw、最初の仕事をとにかく纏めて実績作るのが第一目標だったからかまわなかったのだが、所詮小ガネモチに過ぎない本職がブ~ブ~いって実際参った。
しかしメーカーも担当者など所詮自分の仕事がスムーズに運べば(入金確実早ければ)良いわけで、2度目からは見積もえらい早くなったしまたこちらが前金で口座に入金されている事情がわかってからはそれこそ向こうから営業してきたものであった。こっちも本業の閑を見つけては両国の同業他社東京本社へと出向いたりしていたから、その噂は早いもんである。ここはチャイ後発組だったからか、ホントに扱いが丁重で気持ちよくいい仕事ができた。今でも、ロシア担当になっているらしいがその人間達とは付き合いがるということだ。反して加○の方は、その若い担当者が90年に入って自社クレーンがマイナーチェンジしてるの失念して古い型の部品それも350キロのでかい部品を送ってしまって泣きついてきたことがあったわw。たまたま前の商社の扱いでそれでもこっちに泣きついてきたものな、ニョウボの人徳でしょうw。結局北京行きのジャyンボ・カーゴみっけて無理やりのっけ、そっからトラック輸送(北京→大慶w)して損害賠償はご勘弁願った次第。当然前に送付したヤツはてきとーに使ってネ、ですよ。高いんでなんとか逆送してもらえませんかぁとか言ってきたらしいが、さすがにニョウボどなってましたワ。他の会社の仕事の尻拭いタダでやってアゲテ、また損賠払わなきゃならんのパスできたのに、コレ以上ナニよぉ〜ってネw。この頃はもう、実質社長でしたね。後は、銀座の三○銀行に仕事行ったついでに日○本社に行かされたりw、よくコキツカワレまひたですた。
*********PM7:50
ホントは、日窒コンツェルンの野口遵について書いて、もし彼が満洲でコノ油田発見して開発していたら、蘭領東インド(インドネシア)に南進することもなかったかもしれなく、「太平洋戦争」も無かったかもしれない、なんてな妄想を書きたかったのだが...チャイ戦線は連戦連勝だったので、当然赤軍なんてもんは存立の余地無く、蒋介石なんぞも靡いてて「満洲合衆国」は大発展。...ってなこと小説したかったなぁ〜とか、でもおぢいさんwは、もう眠いんですた。...そろそそ夜あすびおぼえんと、ホントにぢいさんになっちまいソダ
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