クライン・孝子さんの日記を読んでいたら、あるサイトが紹介されていた。

http://www.ch-sakura.jp/index.php

4時間近くの「文明の歴史」発刊記念シンポジウムが見れた。こちらではNHKの海外放送くらいしか見れないし、とにかく5ヶ月ほどまともにテレビが見れなかったので画面に食らいついてしまった。それもいきなり日本でもみたことがなかったお固いテーマのシンポジウム録画である。日本では、気がついた時には月1回の朝まで生テレビを見ていたが、あれはアナーキーで混乱するだけだった。ひどい時には問題の所在さえ不明のときも多かったように思う。参加者が雑然と多数過ぎて言いっぱなし。仕切り(司会者)も独善でいいっぱなしというか短文連発で混乱誘発気味であって、明け方ストレス溜まること夥しいことであった。それでも最初は面白かった。偶然第1回目を見た。「天皇制」がテーマだったように記憶する。当時の解説ではそれを論ずること自体が論者の身に危険が及ぶのだそうで、野坂昭如がサバイバルナイフを持っているとか言っていたはずだ。今から思うと、その危害を加えると恐れる「行動右翼」がジツは北系のザイだというのだから、その無節操に笑ってしまうのだが。つまり野坂は確信ピエロってわけだナ。当時の国民全体がそうだったはずの「飢え」「飢餓」体験から「天皇制」に飛躍して、随分勝手なコトを言いまくっていたのだなと今さらに思う。偽者も本物もごちゃごちゃな時代だったのかナ。まさにアナーキー。全てが相対化してしまったような感じがしたかな。権威を叩くのが流行ってなも感じだったような気がする。さすがになんとなくこれじゃアカンってなことで、2年生から本(飯に直結法律書w)に噛付いたがソノテの論理しかなかったからナ。とにかく試験が迫ってるんでじっくりなんてもんじゃなく何人かでガツガツ分厚いのにとっかかったが、大上段で人権論じて結局はその結論がカネ(慰謝料請求w)だもんな。挙句そっから生活費稼ぐんだからサ、やんなっちゃったヨw。仕方なくたまたま手に取った渡部昇一で気を紛らわしてた程度だったような気がするナ。しかし渡部せんせって本職英文法なのかな言語学なのかな、とにかく概論だけだったからね、それ根拠にして反論できなかったもんなぁ。同じ文学畑でも、江藤淳3部作と西尾幹二「異なる悲劇-ドイツと日本-」カナ、を読んでからだよね、なんとか具体的論拠らしきもん得たのは。江藤淳は小林直樹に食ってかかったんだったナ。東京大学出版会「憲法講義上・下」大冊の著者が、全くぶが無かったもんなぁ。あららってな感じのうちに、今度はたまたま所沢駅前のどうでもいいような本屋で明治書院なんてな全く地味なw出版社から出てた、教育実践3部作カナ買ったんだよねぇ。どういうわけかあんな地味な本が平積みになってたよな。いきなり「自由主義史観」とか司馬史観とか「史観自由主義」とか言い出すしサ。そのうち海洋史観が出たかと思ったら、その結論が軽井沢に引っ込んじゃうんだもんナァw。川勝せんせ。その線で「梅棹」読んでへぇ〜とか思ってたら、今回の「チャンネル桜」シンポジウムじゃ「あんな下らんヤツ!オモイツキです!」とか言われちゃうしw。全く大変だわw。でも最初はみなオモイツキなんじゃない?wとか思っちゃいました。どうも、何でもケチつけるのが性にあわんが、議論のキッカケとしてはいいのかもネ。

とにかく、コレで当分楽しめますわ。

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