「国民精神」なんてな漢語ならべると大袈裟だけど、住んでる国土の自然環境(=風土)、具体的には生まれ育った郷(=郷土)の自然が及ぼす影響、まさに「育まれた」情緒(折りにふれて起こる感情)、と同義かなとか短絡してみる。
固有の精神(とか魂wとか)ってうよりも、共同体構成員大多数の価値観(自律神経w)みたいな感じ。

貧すれば貪すもあるから多少豊かさも影響する(世につれの部分)けど、日本じゃ成金趣味は乞食も蔑視する(と思ぅょw)んで、つまりシガラミない分率直に感想表白できるわね。大多数の自律神経的反応ってのは、勿論マスコミ情報操作(切取り映像垂流し)もあるけど、それこそ謙虚に受取るべき部分はあるわけですね。

直接映像見てないんで想像でしかないんだけど、家族会への顰蹙って、彼らの首相への態度が謙虚さに欠けたから、なんじゃないかな。元草加関係者がいらっしゃって、思わず昔の地がでてもうたってのもあるかもだけどね。書込み見る限りでは、あの温厚謙虚の権化wみたいな横田滋家族会会長もえらい剣幕だったらしいんで、そこいらちょいと想像がつかんのではありますけれどもさ。

かつて、蓮池の母親が小泉の手を握って「直訴」って言ってたけど、ギャンギャンってな感じで「叱って」るような映像みたとき、すぐ不快だったもんな。だから今回の「その感じ」も想像できないことはないわね。その言ってる方の立場になって考えてみろよぉってな声(良心っていうか理性っていうか)も聞こえるんだけどサ、自律神経はお構いなしだからなぁ。

あれサ、極めて身近な身内が急死したときなんかで見る国民性の違いっていうの?ま、そんな大袈裟なもんじゃなくっても、反応の違いネ。地ベタ叩いてぎゃーすか泣き叫ぶタイプと、ジッとコラエルタイプね。

国民性なんて括れないって思ったのは、新大久保の韓国人留学生の「捨て身」の事故の時ね。お袋が典型的反応だったのに、親父がジッと堪えてたでしょ。へぇとか思ったさ。まぁ多数派がいれば少数派もいるってなだけの話かも知れんが。でも彼の態度のお陰で素直に同情できたのは事実。同情って共感かな。

三四郎のPity’s akin to Love.って、否定してたけどサ。かわいそぅだたぁ惚れたってぇことょ【諺】明治学生的誤訳-先生がそりゃ違うって。LOVEを、惚れたじゃないってね。

でもあれってさ、正直、同情通り越して呆れて白ける(シガラミ無くなると、嫌悪感さえ催すw)んだもんな。

いろいろ考えてやっぱ可愛そうなんだよぉとか思おうとしても、無理なもんはやっぱ、無理だってw。

それ前提に、プロトコル(外交儀礼)なんてのは、あるんだろな。逆に、そこいら(違いが厳然とあること)に正直にならんと、自虐るか無礼になるってことだね。

合わせるんじゃなくって合わせ合うんだろ、な。

で、謙虚とか謙遜ってのは控え目とかへりくだるってんだけど、その「違い」受入れオッケーのサインかな。

しっかりした考え(構想)を持つってことと、聞く耳もたんってことは大きに違いますな。まして汚い5バカ事件あって総すかん自律神経的感情発露あったばかりの折柄、注意すべきではあったでしょうネ。

「なんでできなかったんですか!」というのと「せめてこうしていただきとうございましたのに。」というのでは、印象が丸っきり違うもんなぁ。言ってる内容と注意喚起の機能は同じなのにサ。

ま、家族会は我々下々の眼線に合わせて、救う会全国協議会=現代コリア研究所は専門的かつ政治的に厳格に、もう演じる役柄イメージできてるんだから、それを裏切らないように気を付けてくださいね、ってなところかなぁ。

日本人には、支那とかおフランスのようなエゲツナイ(エグイw)交渉は、似合わないってことね。小支那の北南リョウチョンにも、合わせる必要、まるでなし。だって、似合わないんだもんな。

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