児童節...子供の日? 22日は端午の節句だけど...
2004年6月1日6月1日火曜日。こっちは児童節で小学校は休みです。中学・高校・大学まで休みかどうかはわかりません。「児童」なんでね。会社は、当然休みじゃないでしょ?
基本的に農暦という旧暦・陰暦なんですね、こちらは。
お正月、新暦(太陽暦)は1日だけそれらしき雰囲気だったのかな。あとは普段と変わらなかったですね。たまたま昨年は頼まれて、外語大生相手のビジネス日本語講座なんてのやってたのですが、一日おきに午前中3時間、大晦日と2日は普通にやりましたもんね。
今年は1月22日が春節(旧正月)でした。
大晦日は支那版紅白歌合戦で盛り上がって、午前零時またいで賑やかでした。
零時になると一斉に爆竹と花火がうるさかったですね。
日本では、大晦日11時30分くらいで賑やかなのはお仕舞いで、一転して行く年来る年と静かに新しい年を迎えますが、こちらは送るのも向かえるのもバカ騒ぎ一色なので、なんて情緒がないのだろうと思いましたものね。
旧来からの行事らしきものは、零時過ぎに餃子を食べて濃い緑茶を飲んだくらいですかね。これは各家庭での流儀があるらしいです。知り合いの地元大学生の家では、みんなで作っておいた餃子をたくさん食べるらしいのですが、その中にコイン(小さな五角硬貨かな)を入れておくそうですね。新年の「金運」占いでしょ。
6月22日は旧暦五月五日のようです。端午の節句(端午節)ですね。もともと憂国の詩人が汨羅の淵に身を沈め、それを魚か蟹が食い散らさないようにと粽(ちまき)を地元の農民が投げ入れたとかいうのが、当初の伝説でしたっけ?
それを子供(男の子)の日に転用?したのが、日本だけだったのかもしれませんですね。今の支那は、1949年に中共になって(10月1日は国慶節)からわずか55年しか経ってない若い国ですからね。だから多分、今日は国際児童の日とかなんかじゃないんですか?
来月7月1日は建党節とかなっていて、また休みのようですしね。これは、上海で共産党が結党された記念日でしょ、多分。
よく支那は古い国だとか、三国志がどうしたとか想い入れたっぷりの方もいらっしゃいますが、端的に相当な誤解の元、ですね。建国55年と書きましたが、実際は20年そこそこの(改革開放以来)の「開発独裁国」という認識のほうが、正確だと思ってますけどね。もっと言うと、ここわずか5・6年らしいです、こんなに急激に新しいビルが建ち出したのは。少なくとも大連ではね。
12年ほどまえの支那に初めてやってきたとき、まばらに走ってる自動車はみなオンボロでして。やたらクラックション鳴らしましてね。北京空港からのタクシーでは後部座席の床から道路見えましたモンw。それに「技術交流」で来日されたお偉いさんらはみんな例外無しに、スーツの腕に布タッグ?付けっぱなしでありました。成田じゃ、大陸からやってきた人探すのに手間かからんで楽でしたけんどもサ。昨年10年ぶりにまず上海尋ねてから大連入りしたのですが、その変わりようには全くビックリでしたですね。
でも失敗も相当あったようですネ。上海はわずか5日間くらいでしたからよくはわかりませんが、もう滞在して8ヶ月になる大連ではいろいろ情報入ってましてね。
例えば日本領事館大連事務所(本体は省都瀋陽)の入ってる森ビルちょい先の一等地(メインストリート追分にある)には、シンボル的な高層ビルが聳え立っておりますが、これ、竣工(ってか開業)してませんw。というより途中で韓国企業が投げ出して(いつものコトかなw)、あまりにみっともないので市長の命令で(市のカネで)形だけ竣工?したのかな。6年目の大連のシンボル・ゴーストビルですね。ここいらの感覚は全く不明なのですが、そのまさに上っ面だけのビルの写真を、観光地図とかパンフにしっかり載せて宣伝してますンデネw。
建主は「現代(ヒュンデ)」らしいですね。北でも結局観光事業投げ出したでしょ、大連はその魁w、でした。まさにうりならケンチョナヨ精神発揮の象徴でしょか。
平壤の、例のピラミッド模したような三角形のホテル(燕京ホテル?)残骸(って竣工してないからなんてぇのかw)ありますでしょ、あれの南版ですね。外国で恥晒してるから、もっと始末に困るかなw。
対照的なのがその隣(ゴーストビルの敷地はでかい三角地です)にある、イトキン(伊都錦)大連ビルですね。じっくり建てて昨年10月かな竣工した10階建てのシックなビルです。(現代ゴーストビルは50階以上じゃない?)支那でのイトキン自前のは、上海についで二棟目なのでしょうかね。ビル前の歩道部分も広くとってあって、そこだけw銀座の雰囲気です。(隣の地元ビルは店舗前にゴミ積んでたりするw)地下2階が駐車場、地下1階から7階までが主にファッション店舗、8階が食堂ですかね。9階10階は会社機能階のようです。そして、回りの多くの地元系、香港系等の百貨店とは一ランク上で、当然客層も一ランクも二ランクも上であって、またお値段も全体的にさらに上w、いってますですネ。駐車料金も、回りに適当に止めるとタダ(ウォルマートのでかい青空駐車場は1元。ニューマートの駐車場なんて遥か屋上へw)なのに、ここ6元もとりますんですね、ハナから客層選んでますな。ま、堅実のシンボルでしょうか。見事に日韓の対照をなしてますなぁとか、勝手に「いつもw」(とにかく市内中心部に入るときには必ずといっていいほど通らなければならない場所なので、極めて目に付く場所にある)感じてみております。
しかし、朝鮮人ってのは(まぁ支那人も似たモンですがw)まとまりないですな。せいぜい、食堂に婦人服(下着と)屋に、最近は美容院の類ですかな。所詮個人経営で、でかくなりよがない。「財閥(っても国のカネわたくししただけw)」進出すると、あんな見得先立ちのホッタラカシゴーストビル建てるしね。
開発区という「出島」外資企業地区は、ほとんど日本の製造業企業でしょ。
「大連は日本でもってる」なんてなこと、分かってる人はわかってますね。
渤海湾向かいの山東半島青島は、仁川からの直線航路フェリーで韓国企業街(だったw)らしいですが、もう朝日ビールが烟台に工場(ここで金ラベルに銀ラベル<スーパードライ>製造してる)つくっちゃいましたしね。すぐに、大連並みの日本人街になってしまうでしょ。
でもその一見繁栄ですけれどもね、とにかく全体としては、モノ凄いロスが発生してるはずなんですね。
マンションなんかも、とにかく建てて入居なんてお構いなし(ってことはないんでしょうが、実際未入居なんだからw)。一等地の商用ビルだってそうですもん。60階建ての58階レストランで娘の誕生パーティーやりましたが、平日五時に入口一階も薄暗いw、直通エレベーター(入ってないから結果的に?直通とかw)で58階まで中抜き未入居で真っ暗ですわ。夕焼けの大連湾を眺めながらの夕食でしたが、暗くなって外からみたら、真っ暗闇の中空に58階のレストランだけが浮かんでて、レストラン内の人の動きが眺められるんでしょうな。(お!いつのまにか、おらがチュゴクじゃ宇宙船まで造ったか!なんてネw)ま、夜になると街灯の照明も全体的に薄暗いので、敢えてそんな上を見る人自体が、いないでしょうけどサ。
労働公園と電波塔の間の小山の中腹には、市中心部一望の場所があるのですが、ここで昼みると、大連ってなんてモダーンなお洒落な街だろうと思いますね。ところが夜来ると、あら?あの高層ビルはどこ?ってなもんですな。反して、昼は高層ビル群に紛れていたわが社の入ってる中銀大厦が、また大層目立ちますな。これ、堅実な28階建てですけどね。そこはそれ、支那っぽくネオンサインで縁(ふち)ドリwしてありますもんでして、夕方からそれが点灯されるや、特に夜になると一発で目に飛び込んでくんで…
基本的に農暦という旧暦・陰暦なんですね、こちらは。
お正月、新暦(太陽暦)は1日だけそれらしき雰囲気だったのかな。あとは普段と変わらなかったですね。たまたま昨年は頼まれて、外語大生相手のビジネス日本語講座なんてのやってたのですが、一日おきに午前中3時間、大晦日と2日は普通にやりましたもんね。
今年は1月22日が春節(旧正月)でした。
大晦日は支那版紅白歌合戦で盛り上がって、午前零時またいで賑やかでした。
零時になると一斉に爆竹と花火がうるさかったですね。
日本では、大晦日11時30分くらいで賑やかなのはお仕舞いで、一転して行く年来る年と静かに新しい年を迎えますが、こちらは送るのも向かえるのもバカ騒ぎ一色なので、なんて情緒がないのだろうと思いましたものね。
旧来からの行事らしきものは、零時過ぎに餃子を食べて濃い緑茶を飲んだくらいですかね。これは各家庭での流儀があるらしいです。知り合いの地元大学生の家では、みんなで作っておいた餃子をたくさん食べるらしいのですが、その中にコイン(小さな五角硬貨かな)を入れておくそうですね。新年の「金運」占いでしょ。
6月22日は旧暦五月五日のようです。端午の節句(端午節)ですね。もともと憂国の詩人が汨羅の淵に身を沈め、それを魚か蟹が食い散らさないようにと粽(ちまき)を地元の農民が投げ入れたとかいうのが、当初の伝説でしたっけ?
それを子供(男の子)の日に転用?したのが、日本だけだったのかもしれませんですね。今の支那は、1949年に中共になって(10月1日は国慶節)からわずか55年しか経ってない若い国ですからね。だから多分、今日は国際児童の日とかなんかじゃないんですか?
来月7月1日は建党節とかなっていて、また休みのようですしね。これは、上海で共産党が結党された記念日でしょ、多分。
よく支那は古い国だとか、三国志がどうしたとか想い入れたっぷりの方もいらっしゃいますが、端的に相当な誤解の元、ですね。建国55年と書きましたが、実際は20年そこそこの(改革開放以来)の「開発独裁国」という認識のほうが、正確だと思ってますけどね。もっと言うと、ここわずか5・6年らしいです、こんなに急激に新しいビルが建ち出したのは。少なくとも大連ではね。
12年ほどまえの支那に初めてやってきたとき、まばらに走ってる自動車はみなオンボロでして。やたらクラックション鳴らしましてね。北京空港からのタクシーでは後部座席の床から道路見えましたモンw。それに「技術交流」で来日されたお偉いさんらはみんな例外無しに、スーツの腕に布タッグ?付けっぱなしでありました。成田じゃ、大陸からやってきた人探すのに手間かからんで楽でしたけんどもサ。昨年10年ぶりにまず上海尋ねてから大連入りしたのですが、その変わりようには全くビックリでしたですね。
でも失敗も相当あったようですネ。上海はわずか5日間くらいでしたからよくはわかりませんが、もう滞在して8ヶ月になる大連ではいろいろ情報入ってましてね。
例えば日本領事館大連事務所(本体は省都瀋陽)の入ってる森ビルちょい先の一等地(メインストリート追分にある)には、シンボル的な高層ビルが聳え立っておりますが、これ、竣工(ってか開業)してませんw。というより途中で韓国企業が投げ出して(いつものコトかなw)、あまりにみっともないので市長の命令で(市のカネで)形だけ竣工?したのかな。6年目の大連のシンボル・ゴーストビルですね。ここいらの感覚は全く不明なのですが、そのまさに上っ面だけのビルの写真を、観光地図とかパンフにしっかり載せて宣伝してますンデネw。
建主は「現代(ヒュンデ)」らしいですね。北でも結局観光事業投げ出したでしょ、大連はその魁w、でした。まさにうりならケンチョナヨ精神発揮の象徴でしょか。
平壤の、例のピラミッド模したような三角形のホテル(燕京ホテル?)残骸(って竣工してないからなんてぇのかw)ありますでしょ、あれの南版ですね。外国で恥晒してるから、もっと始末に困るかなw。
対照的なのがその隣(ゴーストビルの敷地はでかい三角地です)にある、イトキン(伊都錦)大連ビルですね。じっくり建てて昨年10月かな竣工した10階建てのシックなビルです。(現代ゴーストビルは50階以上じゃない?)支那でのイトキン自前のは、上海についで二棟目なのでしょうかね。ビル前の歩道部分も広くとってあって、そこだけw銀座の雰囲気です。(隣の地元ビルは店舗前にゴミ積んでたりするw)地下2階が駐車場、地下1階から7階までが主にファッション店舗、8階が食堂ですかね。9階10階は会社機能階のようです。そして、回りの多くの地元系、香港系等の百貨店とは一ランク上で、当然客層も一ランクも二ランクも上であって、またお値段も全体的にさらに上w、いってますですネ。駐車料金も、回りに適当に止めるとタダ(ウォルマートのでかい青空駐車場は1元。ニューマートの駐車場なんて遥か屋上へw)なのに、ここ6元もとりますんですね、ハナから客層選んでますな。ま、堅実のシンボルでしょうか。見事に日韓の対照をなしてますなぁとか、勝手に「いつもw」(とにかく市内中心部に入るときには必ずといっていいほど通らなければならない場所なので、極めて目に付く場所にある)感じてみております。
しかし、朝鮮人ってのは(まぁ支那人も似たモンですがw)まとまりないですな。せいぜい、食堂に婦人服(下着と)屋に、最近は美容院の類ですかな。所詮個人経営で、でかくなりよがない。「財閥(っても国のカネわたくししただけw)」進出すると、あんな見得先立ちのホッタラカシゴーストビル建てるしね。
開発区という「出島」外資企業地区は、ほとんど日本の製造業企業でしょ。
「大連は日本でもってる」なんてなこと、分かってる人はわかってますね。
渤海湾向かいの山東半島青島は、仁川からの直線航路フェリーで韓国企業街(だったw)らしいですが、もう朝日ビールが烟台に工場(ここで金ラベルに銀ラベル<スーパードライ>製造してる)つくっちゃいましたしね。すぐに、大連並みの日本人街になってしまうでしょ。
でもその一見繁栄ですけれどもね、とにかく全体としては、モノ凄いロスが発生してるはずなんですね。
マンションなんかも、とにかく建てて入居なんてお構いなし(ってことはないんでしょうが、実際未入居なんだからw)。一等地の商用ビルだってそうですもん。60階建ての58階レストランで娘の誕生パーティーやりましたが、平日五時に入口一階も薄暗いw、直通エレベーター(入ってないから結果的に?直通とかw)で58階まで中抜き未入居で真っ暗ですわ。夕焼けの大連湾を眺めながらの夕食でしたが、暗くなって外からみたら、真っ暗闇の中空に58階のレストランだけが浮かんでて、レストラン内の人の動きが眺められるんでしょうな。(お!いつのまにか、おらがチュゴクじゃ宇宙船まで造ったか!なんてネw)ま、夜になると街灯の照明も全体的に薄暗いので、敢えてそんな上を見る人自体が、いないでしょうけどサ。
労働公園と電波塔の間の小山の中腹には、市中心部一望の場所があるのですが、ここで昼みると、大連ってなんてモダーンなお洒落な街だろうと思いますね。ところが夜来ると、あら?あの高層ビルはどこ?ってなもんですな。反して、昼は高層ビル群に紛れていたわが社の入ってる中銀大厦が、また大層目立ちますな。これ、堅実な28階建てですけどね。そこはそれ、支那っぽくネオンサインで縁(ふち)ドリwしてありますもんでして、夕方からそれが点灯されるや、特に夜になると一発で目に飛び込んでくんで…
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