西村眞悟、吼える

2004年6月30日
衆議院議員としての私の忠誠の対象は、天皇陛下である。忠誠の対象とは、結局、そのために死ねるということである。
だから、私は、靖国神社に参拝する。その死が、忠誠の対象つまり天皇という公と一体となった英霊が祀られているからである。

また、乃木希典将軍が、日露戦争報告文において、部下将兵一万五千名の旅順における戦死の状況を「我が将卒・・・忠勇義烈死ヲ視ルコト帰スルガ如ク、弾ニ斃レ剣ニ倒レルモノ皆陛下ノ万歳ヲ喚呼シ欣然トシテ瞑目シタル・・・」と記して明治天皇の前で朗読したことに、ヒューマニズムの究極の姿をみる。

なぜなら、乃木将軍が、このように朗読することによって、戦死者は英霊となり、「もののふの かなしき いのち つみかさね つみかさねつつ まもるやまとしまねは」の「もののふ」になるからである。

百年後の一億の民をも守るために、一万五千の戦死者と四万四千の負傷者を出しながら旅順要塞を陥落させた行為が、ヒューマニズムに基ずく行為であることを戦後日本は見つめ直さねばならない。(戦後の日本には、このようなヒューマニズムの観念がない、というより、ことさら見ようとしない。

司馬遼太郎も見ようとしなかった、だから、彼は乃木将軍を見ることができず、昭和を書くことができなかった。)

何故なら、人の命は地球より重い、と口先だけで言い逃れて百年まえの乃木将軍と将兵が旅順を陥落させなければ、今頃日本列島ではチェチェンのようにロシアからの分離運動をしていなければならないはめになっていたからである。

一万五千が英霊となって祖国全体を守り、その恩恵が百年後にも及ぶ、これがヒューマニズムでなくてなんであろうか。

以上、偶成・・・独白 
時代錯誤と笑うことも簡単だから、大いに笑っていただいても結構だ。しかし、忠誠、至誠という武士道の徳目を笑うものは、人生の宝を見つめる貴重な視力を失うだろう。

また、日本人なら、天皇という至高の存在から目を逸らしてはならないのだ。

誰がなんと言おうと、天皇は日本という国の歴史とともにある。

万世一系である。

さらに、憲法を守るというなら、憲法第一条「天皇は日本国の象徴であり日本国民統合の象徴でり・・・」をよく守るべきである。

<以下選挙からみなので、略。>(眞悟の時事通信 2004/06/30)


うぅ〜ん、共和制説とらないから「立憲君主国」説とるのだが、そうなるとこういう議論になるのかなぁ...。

昭和天皇には、カリスマ性感じたけど...w

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