防衛庁・自衛隊が一日に発足五十周年を迎えた。(略)
陸海空三自衛隊は北朝鮮の南進に端を発する朝鮮戦争勃発(ぼっぱつ)を受けて、昭和二十九(1954)年七月一日に発足。「戦力なき軍隊」と呼ばれながら、国土防衛や災害救助にあたってきた。戦闘行為そのものを経験したことはないが、厳しい訓練や事故で三自衛隊を合わせて千七百四十七人が殉職している。
憲法九条との関係で専守防衛に徹したにもかかわらず、旧社会党や共産党は声高に「憲法違反」を叫んで存在そのものを批判し続けてきた。だが、大規模災害時の救援活動に加え、湾岸戦争終結後のペルシャ湾への掃海艇派遣、カンボジアやゴラン高原、東ティモールなどでのPKOを通じて国民だけでなく、国際社会においても大きな信頼を受けるまでになった。
昨年末には弾道ミサイル防衛(MD)の導入を決定、今後はゲリラや工作船など「新たな脅威」への対応や陸海空自衛隊の統合運用が課題となる。また、自民党内では政府が「権利はあるが行使できない」としている集団的自衛権の行使を容認すべきだとの声も高まっており、自衛隊の存在を明記することとともに憲法改正の焦点となりそうだ。
◇ ≪元統合幕僚会議議長・栗栖弘臣氏≫
■憲法9条解釈 首相が正せ
自衛隊を取り巻く環境はこの半世紀で大きく変わった。学校の教師が隊員の子供たちに「自衛隊は税金泥棒」とまで言う風当たりの強い時期もあった。ところが、阪神大震災などの災害派遣、国連平和維持活動(PKO)への派遣、北朝鮮の工作船事件などを通じ、国民の意識が「自衛隊は頼りになる」というものへ変わった。(略)
源田実航空幕僚長(真珠湾攻撃時の航空参謀)が「自衛隊員は旧軍より強い」と言っていたが、私もそう思う。志願制の粒ぞろいで、いざとなったら強いだろう。弱いとしたら国民が支援しないときだけだ。
イラク派遣で明らかなように、自衛隊は依然、一人前の軍隊とは扱われていない。「政治」が憲法を理由に自衛隊の行動を縛っているからだ。米軍には「おもちゃの軍隊だ」との声があるし、中国や韓国、北朝鮮は「日本は一応武力を持っているが役に立たない」と侮っているようだ。(略)
憲法のどこを読んでも、集団的自衛権の行使や海外でのすべての武力行使を禁じているとは書いていない。内閣法制局の官僚が誤った拡張解釈をしているだけだ。首相の判断で正すべきだ。
防衛力のあり方の検討では、陸自は人員不足を解決すべきだ。海外派遣やテロ・ゲリラ対策など任務は増える一方だからだ。海自は大型でなくとも航空母艦が必要で、空自は大型輸送機、空中給油機や戦闘爆撃機の装備を充実させるといい。
ゲリラ・コマンドや大量破壊兵器への備えは当然だが、日本に将来も大戦争がないとは言い切れるのか。中国や統一朝鮮とにらみ合いになる可能性はある。正規軍への備えを軽視する風潮を危惧(きぐ)している。
今後、日本国民は今のような「弱小国」では満足しなくなるだろう。敗戦後遺症は二十一世紀半ばには消える。ある程度の経済力と武力をもつ通常の国になっていくだろう。インド洋以東、西太平洋一帯の平和を維持する責任を担う国になるべきだろう。
その点で、今の防衛論議は萎縮(いしゅく)している。アメリカは世界中に手が回らなくなった。日本がある程度責任を引き受ける発想があっていい。日米同盟を維持し、安保条約を双務性を持つ条約に改めるべきだ。(談)
◇ ≪くりす・ひろおみ≫ 大正9年生まれ。東大法卒。終戦時は海軍法務大尉で、昭和26年に警察予備隊入り。自衛隊移行後、陸上幕僚長を経て自衛官トップの統合幕僚会議議長に。53年に有事法制の早期整備を問題提起したが、「超法規発言」として問題視され、金丸信防衛庁長官(当時)に容(い)れられず辞任した。
◇
≪自衛隊の兵力≫ 平成15年3月末の陸上自衛隊の現員14万8000人。部隊は9個師団、6個旅団、1個空挺団など。九〇式など戦車は1020両を保有。海上自衛隊は4万4000人。艦隊は4個護衛隊群、7地方隊、6個潜水隊。対潜哨戒機部隊は13。護衛艦は54隻、潜水艦16隻、対潜哨戒機P3C99機など。航空自衛隊は4万7000人。F15戦闘機203機、F2支援戦闘機40機、C130輸送機16機など作戦機480機。自衛隊の新鋭装備はイージス護衛艦、地対空誘導弾パトリオット、F15戦闘機など一流の水準にある。(産経新聞 07/01)
(産経抄 07/02)世界の国々はどこも「軍隊は国民の財産だ」と考えている。だから人びとはみな軍隊という戦闘集団を大事にし、その功績には最大限の名誉で報いている。それが世界の常識だが、にもかかわらずこの国では…。
▼ともあれ日本の自衛隊が発足五十周年を迎えた。自衛隊をとりまく環境は大きく変わったとはいえ、いまなおわけのわからぬことをいう政党もある。社民党の福島党首は六月三十日の記者会見で、旧社会党時代の「自衛隊合憲」見解は変更する必要がある、と。やはり「自衛隊は違憲」へ党大会で改めるそうだ。
▼思えば自衛隊員とその家族にとって、この五十年は“風雪と苦難”の半世紀だったろう。学校で「自衛隊は税金泥棒」と教える教師がいたという。隊員の子らにはどんな耐えがたいトラウマ(精神的外傷)が残ったことか。
▼「ぼくは、防衛大学生をぼくらの世代の、若い日本人の一つの恥辱だと思っている」。昭和三十三年の夏、新聞の寄稿でそう書いた芥川賞受賞の学生作家がいた。さすがに大きな波紋を呼んだが、のちにこの作家にはノーベル文学賞が授けられた。
▼国を守るための激しい日夜の訓練では千七百四十七人が殉職していた。平成十一年秋、埼玉県入間川上空でジェット練習機が墜落。二人のパイロットは住宅地を避けるため必死で河川敷まで操縦したが、時すでに遅く脱出不能で死んだ。忘れられないその二人もこの数字に入っている。
▼いま国民の信頼は、災害出動からカンボジアや東ティモールの国際貢献まで。来日したイラクの宗教者は「自衛隊の撤退じゃなく、増派を頼む」と要請して帰国した。ここに至るまでの隊員の歯を食いしばった奮闘と、それを支えた家族の苦労を心の底からねぎらいたい。
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