大連人は?

2004年7月4日
地元無料情報誌インタビュー記事から、

...またね、商売をするには大連人はちょっと甘いなんて言われますけど、技術屋としては大連人は最高ですよ。

嘘はつかないし、コツコツと真面目に仕事してね。ひとつ製品が完成すると、ひとりでニンマリ笑って満足するもたいな、ひと昔前の職人気質が多いんですよ。これは私が来たばかりの20年前と変ってませんね。

自分が納得できる仕事が出来れば、稼ぎはどうでもいいような、確かに商売人では無いなとは思いますけど...。

反面ヘソを曲げたらもう大変、「そんな仕事できるか...」ってね。人間関係が要です。相手の仕事を理解して、素人考え的な要求は禁物ですね。職人としてのプライドがありますから、それを無視するような事をすると、担当者自体を換えでもしないと、現場は動いてくれません。


ふぅ〜ん、随分と好意的なだけでなく、点数高いんですね。

1985年から大連にいらっしゃってる方のようですね。

19年目ですかぁ...。

私が来たばかりの大連はホントに真っ青な空で、夏でも扇風機がいらないぐらいでしたが、最近は空が常に白っぽく霞み、ヒートアイランド現象なのか夏は暑いですしね。


そう、「白っぽく霞」んでるんですよ。

あれは霧だと思っていたが、スモッグかも...w

確かに車は多いんですわ。

人民広場の横断歩道の真ん中に立つと、走ってるクルマが数えられ、一番背の高いビルが6階建ての大連飯店だったんですから、今の大連と比べると隔世の感は否めませんね。


あぁ。別紙「写真版」の、婦警さんが交通整理してた当たりに立って見たわけですかw

今は大変な交通量で、あんなところに立ち止まったら婦警さんにピッピッって呼子鳴らされて注意サレチャイますw

それにしても、ほぉ〜、ですね。
わずか19年で、そんな急激な変化だったんですねぇ。

でも、それが目に見えるようになったのって、このわずか5・6年いくらいのことではないですか?

昨日の日本語サロンでの参会者には、36歳と28歳の男性がいたのですが、ってぇと当時17歳に9歳か。目が廻ってて追いつかないってな様子なんですわ。

先日の会合では生徒の一人の役人は、46歳だったかな?
で、27歳か。彼はもうそのころから「置いて逝かれた」wってな感じだったものな。

上海なんかはもっと急激だったようで、ちょうど同じ45・6歳かな、上海の医科大出てアメリカ留学、そのまんまむこうの医科大卒業して市民権とったシナ系米国人のお医者さま。

故郷に錦を飾ったつもりが、かつては遥かに成績劣った同級生がえらい豪勢な生活してるんで、自分のかつての選択に疑問をもって帰国したとか。

また、それを悔やんで、さらにITバブルで引っかかったってなことも引き金になっての、自殺者も多いらしいんだナ。

「カネ基準に」考えると、そうなってしまうかもなぁ。

そんなの、極々一部だってなこと、理性では分かってるつもりでもネ。

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