えざわ13年間が、バカだったんだネw 後始末がたいへんなのよ
2004年7月5日(殿下さま沸騰の日々)
支那が堰を切ったように反日(というよりもむしろ侮日か)へと舵を取り始めたのは、改革開放路線以降最初の躓きとなった天安門事件からである。(1989えざわ時代開幕w)
天安門事件で叫ばれた『社会主義の危機』というスローガンとはすなわち『支那共産党独裁の危機』にほかならず、それは支那共産党のDNAである反日への先祖返りのスローガンでもある。
なぜなら『抗日戦争に勝利を収めて支那を解放』したことこそ支那共産党の唯一大の政治的遺産であり(コレも真っ赤な嘘なんだケドネw)、相次いで破綻した東欧の社会主義政権に対する支那共産党独裁政権の正統性を誇示するには、都合のよいスローガンだった(つまりは民度が低いノヨンw)からである。
それ以降の支那の言いがかりの数々を思い出してみられよ。ここ数年の事件だけを振り返ってみても、小泉靖国参拝事件、瀋陽総領事館事件、珠海集団買春事件、トヨタの広告事件、尖閣諸島領海侵犯及び不法上陸事件、そして今回の東シナ海ガス田事件など、いくつも数え上げることができる。そして、これらはすべて支那側が自らの瑕疵や過失を棚に上げて、一方的に日本に言いがかりを付けてきた事件なのである。
むろん、その通奏低音となっているのが、靖国神社A級戦犯合祀や歴史教科書に代表される支那の言うところの『歴史認識』問題であることはいうまでもない。
82年の誤報から始まったいわゆる『教科書問題』を思い出してみると、結果的には宮沢官房長官談話(鈴木善幸内閣)(この流れが加藤紘一じゃんw)で日本側の低姿勢によるなあなあの決着になってしまったように見える。
支那や韓国におもねって日本テレビ記者の誤報を事実であるかのように謝罪した(渡部昇一教授が正した。産経新聞のみ訂正記事)ことは、国家の矜持にとって大問題ではある。
しかし、支那が『正しい歴史認識』を声高に日本に主張すればするほど、たとえば『南京大虐殺』の真偽に対する反証が続々と提起され、支那が国際的に『歴史捏造』の疑惑に晒される結果となっているのは、日本や海外の良識ある学者の仕事の為せるところである。(もう客観的には決着が着いたと思っている)
共産党の御用学者の歴史書が信用できないのは、いまや学界では国際的な常識とされているほどなのである。
だからこそ、なおさら支那は『南京大虐殺記念館』を拡充し、731部隊の戦跡に世界戦争遺跡公園を建て世界文化遺産登録を目指す(爆笑)などと、墓穴を掘った上にさらにその墓穴を拡げる愚挙を重ね、いっそう国際的な失笑を買っているわけである。支那政府(えざわ一派ネ)というのは存外バカではないかと思ったりする所以である。
最終的に国際的に信用を失墜し面子を失うリスクをわからせるためには、面倒でもしつこくやっていくしかない。
思てることまんまの代弁wで、なぁ〜んもコメントの必要なしw
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