う〜ん、わかりやすいw
2004年7月5日ちょこっと宮台(finalvent2004/07/05日記)
吉本隆明がほんものの馬鹿が現れたなと驚いていたが、ま、そうかなと思う。小室のよいお弟子ではなさそうではあるが、それなりにきちんと社会学を勉強しているので、そういう土台になると強そうだ、っていうか、ベースはフツーの学者さん。その他、うんぬん、っては話は全部割愛。
私は、率直に言って、えげつないことこの上ないのだが、この人の個人的なプライバシーに関心がある。つまり、速水由紀子(桜井亜美)との関係、そして破綻についてだ。
こういう我ながら下品な関心は、柄谷行人についてもそうだ。
こう言うと、イエローカードだが、この手の知識人と女の関係の類型は、その知識人のまさに決定的なもろさというか弱さというか、選択しているのはどう見ても女の側でしょ、内面傷多すぎでしょ、に、関係しているようにしか思えない。
吉本隆明や小林秀雄を持ち出すのは私の個人的趣味でしかないが、この内面の弱さをまるで無視しない男は、愕然と女を奪っていくし、女という存在に絶対的に耐えている。っていうか、それってオメーの性的な趣味の問題?とか言われそうだが、このなんつうか、サムソンのように男であること、っていうのは、男の思想のなにか根幹のような気がする。
思想に男ですかぁとか突っ込み入れられても、答えようはないし、オメーが間違っているといわれても、そーですよねと言いそうだ、っていうか、そういう問いを女が出すなら、俺たちは耐えるよっていう気がする。
って、吉本を回想するに(存命だが)、女に耐えるということを見せつけた生き様だった。
全共闘世代の吉本の知的理解はすげー浅薄なことが多いが、対幻想において、女を選べ、という思想はきっちり受け止めた人たちが多い。そして、暗黙のうちに、女に耐えろという思想を彼らから受けているのではないか。
吉本は、女に暴力をふるうっていうのはまるで想像もつかないと言っていたが、俺もそうだ。それはDVがどうのということではない。
性の場で、この女をねじ伏せる力と、なんというかその男のザマの惨めさみたいな自覚があるように思う。そういえば、小林秀雄もそう言っていたな。
こうした問題は、もし、マスキュリニズムがあれば、課題なんだろうが、問われない。
と、「女に耐える」とか言いながら、「あんた座っておしっこしてよ」に耐えられるか? 笑い話のようだが、難しい。原則的には耐えるだろうが、男というのはその発言を許さないのではないか。いい悪いではなく、すでにその倫理は対幻想の内側に入っていて、性の幻想に関係している。
というあたりで、ふと、宮台の、こういうのは失礼だが、気持ち悪さのようなこともわかる。
男のそういう性の存在は女を支えるにするというあたりかもしれない。(女を支えにする=頼りにする?)
下品の極みでいうなら、吉本や小林の性行為っていうのはなんとなく絵になるが、宮台とか柄谷って絵にならんように思う。福田和也は絵にならん。坪内祐三は絵になる…っていう感じがする。
だいたいが、ことが終わってごろっとした裸体が様になるかならないかで、男の価値って決まるのではないか。
ま、ちょっと書いちまったが、放言だし、ちょっと、下品すぎる話なので、もし読まれているかたがいたら、適当に受け止めてくれ。つまり、文章を字義通り引用して、こいつは変とか、そういうギャグにしねーでくれよ。
この人の隠れファンで毎日見させてもろとるが、ココログのほうは難し過ぎw。日記も普通は難し。
たまぁ〜に、そういう低脳読者のための、極めてわかり易い図式w示してくれるから、また読むんだよナァ。
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