泳がせ、一気にシバクw...支那通常の手法でしょ。
2004年7月7日腐敗進む中国の司法 安易な取り調べ…20万ドルで刑期10年短縮 “誤審”“重刑”に苦しむ外国人も ( 7/ 7)
【北京=福島香織】中国・大都市の国際化に伴い、中国で裁かれる外国人が増えている。日本人が死刑や無期懲役判決を受けたほか、米国、カナダ、韓国、東南アジア、アフリカなどの人々がさまざまな罪で北京の刑務所や看守所に入所している。
罪を犯せばその土地で裁かれるのは当然だ。しかしそれが公平な裁判であるかはまた別。「地獄の沙汰(さた)も金次第」。
この春出所したばかりの米国人男性は、外国人も足を取られかねない司法のブラックホールの存在を訴える。
洪水のように街にあふれる車、最新のカード型携帯電話で流暢(りゅうちょう)な英語を話すホワイトカラーの人々、真夏の金属的な日差しに輝くガラス張りのビル。
「強い光があれば影も濃いもんだ」。三年ぶりに“シャバ”に戻ったマーク・リー氏(四八)=仮名=は四年後に五輪を控える北京の発展ぶりを仰ぎみながら述懐した。
リー氏は米国籍華僑。ニューヨークのコンサルタント企業に入社し、同社から責任を一任され中国支社を立ち上げ、五年前に北京で独立し事務所を構えた。
絶好調の彼は三年前の春、突然、逮捕された。あとで「拉致監禁傷害罪」と容疑名が告げられた。
仕事を持ち逃げし雲隠れしていたビジネスパートナーの行方を中国人に依頼して捜してもらっていたが拉致監禁など初耳。中国人が勝手にパートナーを監禁し暴行、金を要求していたのだが、主犯にされていた。
「私にも落ち度はあった。しかし、監禁など断じてかかわっていない。そんなことは携帯電話記録などを調べればすぐ分かる」。
しかし、裁判では何の証拠の提出も要求されず、検察側が殴るなど暴行によって引き出した“自白”だけを根拠に起訴。いとも簡単に懲役十三年の一審判決がでた。
控訴後、手持ちの不動産を処分し約二十万ドルの金をつくり、司法関係者に届けた。二審判決は懲役三年に短縮。「法の正義はない。あるのは金の力だけ」。そう達観したという。
リー氏のケースは特殊ではない。最高人民法院(最高裁)の報告によると、「刑事、民事、行政など各事件で事実が不確かで間違った審判がなされた」裁判は昨年だけで五千八百五件にのぼった。規律違反で処分された裁判官は昨年七百九十四人、うち五十二人が司法汚職など職権乱用で刑事責任を問われた。リー氏に言わせれば、「こんなのは氷山の一角」。
実際、リー氏は収監先で何人もの冤罪(えんざい)を主張する服役者に会った。婦女暴行罪で懲役六年の判決を受けた日本人大学教授(!)は「暴行ではなかった。金目当ての女性におとしいれられた」と再審請求を続けていた。
今年、大量の覚醒(かくせい)剤を持ち出そうとした日本人十人が中国で起訴され、うち一人が死刑の一審判決(支那は「執行」早いヨォw)、別の一人が無期懲役判決を受けている。ほかの八人も今後順番に死刑か無期懲役に類する重刑が言い渡される見込みだ。
中国が発展し、チャンスを狙う外国人が集まれば、外国人犯罪が増えるのはしかたのないことかもしれない。しかし、リー氏は言う。「ちょっとした行き過ぎや油断、出来心が中国では信じられない重罪になることを外国人は肝に銘じた方がいい」 2004/07/07(産経新聞朝刊)
よく聞くような話。
その裏切った元パートナーの、自身または人脈的に圧倒的優位に立ってる確信がなければ、へんな筋への依頼は厳禁だってのは常識。
かといって、こういうのを放っておくと、自分の商売上の「実力・信用」を見損なわれていろいろ差し支え出てくるのね。
だから敵味方しっかり判別して信賞必罰ガッチリ付けるてのに、信じられないようなエネルギー使ってるな。
特に日本人は、先輩諸氏の「濡れ衣」しっかり纏わされてるからネw
「予断」なんてな甘いレベルじゃない、ヨォ。つまり、...
今日は七夕...じゃないんだなぁ、こっちじゃ。
珠海集団買春事件(9・18)の二の舞(完全に引掛け)は、もう二度とないことを願うネ。
特に、遊び半分の留学生に、「1万元お手当で囲ってるw」殿様気分の駐在員さん。思わぬ相手にチクられたら、そこまではしてないっ!じゃ済みませんですよぉ。「弁護士同席取調要求」どころか、日本的には「拷問」wが待ってる、みたいだからねぇ。
1937年7月7日夜、豊台に駐屯の日本軍支那駐屯歩兵第1連隊第3大隊(大隊長・一木清直少佐)の第8中隊(中隊長・清水節郎大尉)は夜間攻撃の演習を行っていた。
10時30分頃、演習中止の伝令を出すや、伝令を仮想敵と勘違いしたのか、日本軍の仮想敵の軽機関銃が空砲射撃を始めた。その直後、竜王廟方面にいた中国軍方向から実弾3発が飛んできたのである。
清水中隊長は部下を集合させようと集合ラッパを吹かせた直後、再び十数発の小銃弾が飛んできた。人員を点呼すると、初年兵が1人行方不明となっていた。
中隊長はすぐ、「中国軍の不法射撃、兵1名行方不明」の伝令を大隊長に走らせた。
午前0時少し前、報告を受けた一木大隊長は北京の歩兵第1連隊長・牟田口廉也大佐に報告。当時北京の最高位の田代皖一郎支那駐屯軍司令官は病気で重態、河辺正三支那駐屯歩兵旅団長は出張中で不在、牟田口が代理を務めていた。
あぁ〜あ、今日も不愉快なテレビ番組横溢の中での七夕だわw
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