2004/07/09 (産経新聞朝刊)
【正論】同志社大学フェロー、大阪大学名誉教授 加地伸行

中高の入学時に合宿の義務づけを「質」の確かな友情を育むために 《驚きの「七つの子」珍解釈》( 7/ 9)

永六輔は、野口雨情作詞の「カラスなぜ啼(な)くの」にはじまる童謡「七つの子」を

朝鮮の人々を内地に強制連行して炭鉱で働かせたが、炭塵(たんじん)にまみれて真っ黒だったので、カラスと呼ばれていた。
この人たちの“早く故郷に帰りたい”という思いを童謡という形にして書いたものだ。この話は雨情の
弟子筋(いつもの言い方w)から聞いた

として、昨年二月、NHK教育テレビの『人間講座』「人はなぜ歌うのか」において述べたという(『週刊新潮』六月十七日号)。

これは珍説(このしとのばやぃ、尤もらしい「嘘」をへらへらつく傾向ありw)である。

そうではなくて、中国古典『詩経』の●鳩(しきゅう)と題する詩(★後注)を踏んだ歌詞であると考える。

その原文の第一節は「●鳩 桑(くわ)に在(あ)り。其(そ)の子(こ)七(なな)つ。淑人君子(しゅくじんくんし) 其の儀 一(いつ)なり。その儀 一なれば、心 結ぶが如(ごと)し」で、通解はこうである。

ツツドリ(●鳩)が桑の木にとまっている。その雛(ひな)が七羽。〔みなすくすくと育っているのは、母鳥(ははどり)がみんなを可愛(かわい)がって、餌(えさ)を平等に与(あた)えているからだ。それと同じように〕りっぱな人(淑人君子)は、〔だれに対するときでも平等な〕態度(儀)が変らない。そのように一定(一)なので、心がぐらぐらしないで、結んだようにしっかりとしている。

雨情はカラスの啼き声の「カァカァ」と「可愛」とが音が似ており音通するので、ツツドリではなくてカラスを選んだのであろう。そしてカラスの巣は山に設定する。

「烏(からす)なぜ啼くの/烏は山に/可愛い七つの/子があるからよ/可愛可愛と烏は啼くの/可愛可愛と啼くんだよ」と『詩経』の「七羽の子」のイメージから母カラスがえこひいきしないで平等に愛する姿を描き、「山の古巣(ふるす)へ/行って見て御覧/丸い眼をした/いい子だよ」とほのぼのとした情景で最後を結んでいる。

≪基本に返ることの大切さ≫
「七つの子」は大正十年の作であり、野口雨情は明治の生まれだ。

当時の文筆家の教養は四書五経(『詩経』は五経の一つ)である。いやしくも詩人を志す者であるならば、一部といえども『詩経』を読んでいたことであろう。

もちろん、そうした儒教文献だけではなくて、文筆家は他の漢籍も勉強している。

たとえば北原白秋作詞の「待ちぼうけ」は、『韓非子』五蠹(ごと)篇の「株(かぶ)を守る」話を踏んでいる。そのように、古典を踏んで詩文を草するのが東北アジアの文人の心得の一つであった。

このような作法を知らないで、ありもしない強制連行(お得意の、というより虚言癖的)こじつけた解釈をする永六輔と雨情、白秋とでは格も力量も大差があることを感ずる。

さて近ごろは、「七つの子」が描くような愛情物語とはまったく異なる事件が続いている。子の虐待死である。あるいは中学生や小学生による殺人事件である。なにかがおかしい。こういうときはどうすればよいのか。

そういう場合、古来、決まった道筋がある。それは人間の生きかたの基本に返ることである。

問題が複雑であり解決が困難であればあるほど、基本に返ることが大切だ。その基本とは、古典の英知である。

たとえば『論語』はこう述べる。

文質彬彬(ぶんしつひんぴん)として、然(しか)る後に君子たり」と。

「文」は外観・形式、「質」は中身・内容、「彬彬」はほどよい均衡、すなわち文と質とがほどよく整っているのが人間として最善という意味である。

≪外見だけのパソコン交流≫
佐世保市の小学生による同級生殺人事件を例にとれば、あの二人の少女において、どのような友情があったのであろうか。報道によれば、パソコンが交流の道具であったという。

パソコンによる友情−それは、きらびやかな外見だけの友情ではないのか。それが行きつくところまで行きついて殺人となったのであれば「文」に偏っている。

すなわち「質」が欠けている。友情の「質」の中身は、機械を通してではなくて、生きた人間自体を通して生まれ育つ。たとえば合宿だ。

私は学校教育において、「文」(パソコン)の一方に、「質」(合宿)を提唱したい。それも二日や三日の合宿ではなくて、中学、高校各入学時の四月の一カ月間、全員が計二回の合宿をすることだ。

場所は近(ちか)場(ば)の過疎地の校舎などを使い、できるだけ原始的に自活させる。修学旅行をやめれば、その費用で十分に一カ月の合宿ができる。もし不足とならば、それこそ国家が援助することだ。

計二回の合宿によって、いじめは必ずなくなる。「質」の確かな友情が生まれる。

そういう青少年が将来家庭を築いたとき、子の虐待死などということは絶対に起こらないと私は確信している。

(かじ のぶゆき)(★後注 ●=鳩の九を尸)



永 六輔(えい ろくすけ)
放送タレント
1933年4月10日 東京浅草に生まれる。(昭和8年=今上陛下と同い年で、71歳!)
1952年 早稲田大学文学部中退
中学の時、NHKラジオ『日曜娯楽版』に投書をして以来ラジオを中心に活動。
【ラジオ番組】 TBS 「誰かとどこかで」は1967年から(37年間!)続いている 他多数
【主なテレビ番組】 NHK 「夢であいましょう」読売テレビ 「遠くへ行きたい」NHK 「視点論点」「手話ニュース」日本テレビ「2×3が六輔」
早大在学中に三木鶏郎の「冗談工房」に参加。テレビ「夢であいましょう」などの構成を担当、また作詞家として「上を向いて歩こう」「黒い花びら」(
コレ、あたしの持ち歌一つナンデツw)
「遠くへ行きたい」「こんにちは赤ちゃん」

おぇ!青島幸男も同い年かよぉ。疎開児童連中に、戦後日本は振り回されてきたんだw

コメント

お気に入り日記の更新

テーマ別日記一覧

まだテーマがありません

最新のコメント

この日記について

日記内を検索