やっぱり田中明氏だよねぇ。とうに結論出てるんだけど...
2004年7月10日...田中 明「韓国の民族意識と伝統」
岩波現代文庫2003年(原著は1984年)です。...
田中氏によれば、朝鮮半島(韓国)の根源的な問題点は、両班(やんばん)精神にあります。
...両班精神とは、李朝時代の支配階級の精神であり、「文を尊び武を卑しむ気風、激しいイデオロギー闘争、政敵との容赦ない闘い、それに実務軽視・・等々」(15頁)を特徴としていました。
これは、アングロサクソン的スタンダードに合致した「戦前」の日本的精神である「文武両道を尊ぶ気風、事実と論理による議論、和の精神、それに実務重視・・等々」とは対照的な精神でした。
戦後の韓国では、日本の朝鮮半島統治の間ずっと海外で独立運動に携わり、両班精神をそのまま抱き続けていた李承晩が、1948年から12年間もの長期にわたって大統領として君臨したことによって、「政治・経済・社会の危機ないし歪み」が復活してしまうのです。
李政権は、ついに一度も経済計画を立てようとせず、このこともあって韓国の経済は低迷を続け、しかも防衛努力も怠ったため、北朝鮮に侮られ、北朝鮮が韓国併合のための朝鮮戦争を起こし、韓国民は塗炭の苦しみを味わいます。
このような韓国の状況に危機意識を抱いていた旧日本帝国陸軍士官であった軍人朴正熙は、1961年にクーデターを起こし、1963年には大統領となり、爾来1993年までの30年有余にわたって、全斗煥、盧泰愚と日本的精神を身につけた軍人達の政権が続き、この間、日本との国交回復に伴う日本からの経済援助や日本との経済交流のおかげもあり、韓国経済は奇跡的な高度成長をとげるのです。
他方、李承晩政権が路線を敷いた両班的教育の影響を強く受けた人々は野党に結集し、軍事政権批判を続けました。
韓国が、またもおかしくなるのは、1993年に野党勢力が政権を奪取し、文民政権が復活してからです。(これを田中氏は確か「先祖還り」と評していたはず)
金泳三政権末期の1997年には韓国は未曾有の経済危機に直面します。その次の金大中の時代には韓国の国是を変更して北朝鮮に急接近し、2000年には賄賂を手みやげに北朝鮮を訪問しますが、その一方で在韓米軍と韓国との関係は悪化の一途をたどります。
そして昨年からのノ・ムヒョン(盧武鉉)政権のダッチロールぶり、と続くわけです。
こうして、韓国に「政治・経済・社会の危機ないし歪み」が再び復活し、現在に至っているのです。(太田述正氏メルマガ)
2004/07/10 (産経新聞朝刊)
【外信コラム】ソウルからヨボセヨ 韓国人の好み( 7/10)
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秋、松、バラ、黒、コーヒー、サバ、焼酎、サッカー…そして朴正煕大統領。
ナゾナゾめいているが、これが現代韓国人の「好み」というわけだ。韓国最大の調査機関・韓国ギャラップが最近、行った「韓国人が好きなベスト40」という世論調査によって明らかになったもので、韓国人がどんな感じの人びとなのかを知るのにいい材料になっている。
ただ見方によっては意外な感じもある。たとえば季節では、長く厳しい冬の後の「春」が大好きではないかと思いがちだが「秋」がいいという。服の色も「黒」好みで、伝統的イメージのいわゆる「白衣民族」らしくない。魚も白身好きのはずなのに、サバがタチウオやイシモチ、サワラなど白身系をおさえて意外なトップだ。
ところが花では華麗で情熱的な「バラ」が大好きというのは想像通り韓国人的で納得だが、木では「松」とくるからこちらはずいぶん古典的である。趣味のスポーツはやはり「サッカー」が圧倒的人気で「野球」は五位にも入っていない。
面白いのは好きな外国の都市で「東京」がパリ、シドニーに次いで三位、好きな国でも「日本」が五位につけていることだ。調査は面接による即答式だったという。即座に、となると日本がすぐ思い浮かぶということだろうか。ちなみに「俳優」の項では「ヨンさま」は五位内には見当たりませんでした。(黒田勝弘)
なんだかなぁ〜ってな感じw
ホントに朴正煕がお好きなら、著作集を読んでみればいいのに...
いま日本に言ってきてる「歴史教科書」難癖とか、いっぺんですっ飛ぶはずだよ。彼は「一片の価値も見出せない」とまで書いてたはすで、いやぁそこまで言わなくてもぉってむしろ励ましてやりたくなるくらいの全否定ぶりですよ。著作集は鹿島出版かな、古本で安く買えたよね。そんなに人気あるならあっちでも復刊されてるでしょうに。
でもまた田中氏は、1961年からの30年間が稀有なときなのであって、12世紀末(!)の崔氏武臣政権以来のことなのだとの仰ってたかな。だから日韓併合までの約600年間は「脳内世界どっぷりの文臣(民)政権」がどぁ〜っと延々続いてきたわけで、実際1961年にその「半千年」超ぶりににクーデターが起こったときには、「軍人(武官)にそのようなことが起こせるという発想自体なかった」とのあちらの政治学者の感想も書かれていたような記憶ですよね。ちなみに「半万年」(5,000年)とか言ってる朝鮮の歴史って、王建が高麗(918〜1392李氏朝鮮)建国して半島統一した936年説とるのが日本の大方の理解なんじゃないですか?
1258年にモンゴルに内応する勢力のクーデタで崔氏武臣政権が倒されて、江華島の高麗王も屈服。以来モンゴルの属国から支那の属国ですよね。三別抄(左夜・右夜・神義別抄)てな勇敢なゲリラの話はそのころでしょう。今でも大連にも「花郎(ファラン)」なんてな焼肉屋あるけど、あれって朝鮮版「武士道」みたいなもんなんでしょ?13世紀に没したにしろ。
はるか下って1895年下関条約で緩衝地帯としての独立認められても、あっちにフラフラこっちに王宮まで移転して「こらあかんッ!」てな感じで1910年に日本の一部ですもんね。5年くらい大韓帝国だったかあった(だから日朝じゃなくって日韓併合かな)のに、李氏朝鮮の名称変更程度だから、「李氏朝鮮(1392〜1910)」て書いてあるもんね。
とにかく1961年朴正煕のクーデタは、それほど歴史的出来事だったてなわけでしょね。
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