プラモでよく使ったな
2004年7月15日(2001/01/11の記事 マブチモーター大連 総経理 西村祥二氏)
モーターは製品の心臓部に当たる。マブチの小型モーターは、学校教材や玩具用に始まって精密機器や自動車電装などにも広く使われるようになった。需要の増大は海外生産拠点の増設につながる。生産技術部長の西村さんは、海外工場に部下を大量に送り込み、自らも出張を繰り返した。
80年代後半になって、香港現法が中国の広東省で外注委託業務を展開する。その状況から社長が「中国の対外開放政策は本物。もはや後戻りしない」と確信し、中国に本格的な生産工場を設けることを決定した。
87年に調査開始。大連を視察した西村さんは、同市郊外の開発区が進出先としては最適と具申する。その後、準備に取りかかり、1987年10月に中央政府によって承認された萬宝至馬達大連有限公司は、中国における最初の100%外資企業となった。(独資企業だね)
西村さんは1993年8月、大連に赴任した。それまでは本社で技術本部長を務めていたが、2代目総経理の後任が必要になり、「私がやりましょうか」と名乗り出る。50代後半になっていた西村さんにとって、その申し出はある意味で“最後のご奉公”であった。
赴任3カ月後の11月15日、大連開発区は大寒波に見舞われ、マイナス20度の氷の世界となった。翌年の春には山猫ストに遭遇する。(日本の新聞でみた記憶あるなぁ)
一部女子工員のサボタージュが工場全体に伝染した。何が目的なのかわからない。現場を回ると、全員が生産ラインの前で手を膝において座っているだけ。声をかけると、班長は気まずそうにその場を離れた。「あの3日間余りは眠れなかったですね」。
雨降って地固まる。山猫ストへの反省から、西村さんは本社とも相談して確固としたピラミッド型組織体制を構築する。1995年に成立した労働法も労資環境の改善を後押しした。(支那は驚くほど全てが未整備。派遣。紹介も相当ヤバイw)
その後は、経営的には順風満帆。労働集約型ラインの増設が必要になると、北方の瓦房店に子会社を設けた。大連で6,700人、瓦房店では3,400人を雇用するマブチモーターは、大連日系企業の代表格となっている。
点数による評価制度の導入や社内食堂、寮管理の外部委託などには従業員の整理がともなう。コスト体質を強化するため、経営者はときとして心を鬼にしなければならない。
ある晩、カラオケ屋に立ち寄った西村さんは、店の女の子に「どうして私をクビにしたのか」と詰め寄られた。聞けば、元マブチの従業員。西村さん自身はその女性に見覚えはなかったが、彼女は客がマブチの総経理であり、評価制度を取り入れた総責任者であることを知っている。「うらみの一つでも言ってみたい気持ち、わからないでもないですね」。
マブチの従業員はなにしろ人数が多いものだから、町のどこにでもいる。末端の女性工員にとって、総経理は言わば雲の上の人。
こういう業界(労働集約型)はわかりやすいよね。
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