2004/07/30 (産経新聞朝刊)
【上海発 今天的中国】交差点の“番人”はリストラ世代
殴られても、ののしられても… ( 7/30)

「ピッピー」。甲高い笛の音が上海に響く。黄色い帽子をかぶり、そろいの制服を着た五十歳代の男女が、交差点をせわしなく動き回り、笛を吹き、腕を振る。最近、上海のあちこちで見受けられるようになった彼らは「交通管理員」。警察に協力して、道路交通を管理する民間人だ。

中国では、交通事故で毎日三百人近くが死亡している。航空機が毎日一機墜落していると考えると空恐ろしい。上海も例外ではなく、今年上半期で七百五十七人が亡くなった。原因として車の乱暴運転ばかりがとりあげられるが、私が思うに歩行者・自転車の交通マナーと順法意識の低さの方が問題だ。信号などあってないようなもの。信号が赤に変わってから堂々と道路を渡り始める歩行者も多い。

これでは「文明国」として恥ずかしいが、警察は車の取り締まりで精いっぱい。そこで導入されたのが「交通管理員」制度だ。

国有企業をリストラされた人や文化大革命で教育が受けられず、職についていない四十−五十歳代の男女を中心に募集されており、今やその数は交通警察官と同じ五千人にまで増えた。しかも、何と十倍の難関だそうだ。

上海の中心、南京路の交差点に立つ蘇義勇さん(五〇)も国有企業をリストラされた一人。「月給は一千元(一元=約十四円)と前より低いけど、やりがいがあるよ」と話す。三七度を超える猛暑の中、毎日六時間、日陰のない交差点に立ち、信号を無視する歩行者を注意し、歩道をバイクで走る運転手にバイクから降りるように指示、時には道案内もする。「三年前は私も含めてだれも信号を守らなかったけど、今はだいぶよくなったよ」。確かに蘇さんが笛を吹いて注意すると、ほとんどの人が指導に従う。

しかし、この仕事、そんなに甘いわけではない。蘇さんは足のあざを見せながら言った。「道路にはみ出さないように歩行者に注意したらけられたんだ。“バカ野郎”なんてののしられることもしょっちゅうだ」。蘇さんの友人は、注意したら逆に殴られ、歯を折られたという。

彼らは警察ではないため、彼らの言葉・指導には拘束力もない。歩道を走るバイクの運転手をバイクから引きずりおろすこともできない。

その上、交差点に立つ前に受ける研修では「打不還手。罵不還口」と教えられる。つまり「殴られても手を出してはいけない。ののしられても黙っていろ!」と。正しいことを指導しているのに、この仕打ち。本当に重労働である。

上海市幹部は事あるごとに「あの日本でも、信号を守らせるのに十年かかったと聞いている。上海はこれからだ」と言う。

上海はいつを起点にしているのか、はっきりしないが、二〇一〇年の上海万博までには、上海人は信号を守るようになるのだろうか? きょうも交差点に「ピッピー」という笛の音が鳴り響く。



文革(1966〜1976)時の空白の10年間に、就学年齢から義務教育年齢(7歳〜15歳)だった世代は、現在(2004年)45歳から53歳かな。

それぞれ、下は7歳から17歳まで上は15歳から25歳まで、まともな教育受けられなかったわけで、まさに「教育」どころか「造反有理」で大人(経験者・「理」)を無条件で無視排斥するような風潮の中で大事な人格形成期を過ごしてしまった人たちだね。

挙句に下放されて、とんでもない価値観の大逆転を個々人が経験してるわけだな。立ち直れなかっただろうし、やり直しなんて極一部しかできなかっただろう。

社会の中堅層が「無教養」社会、てのは怖いよな。

逆に改革開放に拍車がかかった1980年からは「がり勉」世代だし、ちょうど現在27歳から32歳くらいの連中とビジネス日本語講座で付き合ったわけだが、これがまた上っ面(小手先)なんだよなぁ。彼らに共通してたのが、親(の世代)を小ばかにしてたことだった。教師や大学教授の「理不尽」さをよく口にしてたな。

この世代間ギャップたるや、眩暈がするほどだな。

世代間の「知の申し送り」なんて、まるでないんだろうしな。

テレビ番組の内容のギャップにもそれが出てるんだろ。消費者ニーズがそりゃ多様だろからさ。

登場人物は何で収入得てるんだか全くわからん日本と同じような「トレンディドラマ」から、時代考証まるでなしの「各時代劇」に、やたら笑顔で大見得切る多分「日中戦争時代劇」。

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