もう時間切れ。

2004年8月13日

(殿下さま沸騰の日々)

■2004/08/12 (木) 『協議中』を慌てて『調査中』の外道の本音を怒れ

日朝実務者協議が終わった。もちろん、その最大の焦点は、横田めぐみさんを始めとする拉致事件の被害者の安否確認である。

2002年の9月17日の日朝首脳会談において金正日が拉致を国家犯罪と認めて謝罪してから約二年が経過しようとしている。

ところが、北朝鮮はその際の不誠実で出鱈目な調査結果に対して日本側が提起した疑問点に一切答えていないだけでない。

5月の小泉再訪朝時に金正日が白紙に戻して再調査すると約束したにもかかわらず、今回の実務者協議に至るまで一切の情報を日本側に提供してこなかったのである。

一国の首相が出向いて行って金正日が約束した調査である。それを履行しないということは、要するに日本側が侮られているのである。

そんな北朝鮮がこの二日間の協議で日本側に示した回答とはどんなものか。これについて大きな期待を寄せるほうがどうかしているが、結果はやはり経過報告だけであった。

11日の協議終了後に北朝鮮の宋日昊外務省副局長が語ったところでは、『調査方法について説明した。不明者については誠意をもってやっている』ということ。

本来であれば、何度も繰り返されるこのような不誠実な回答に対して、日本側は強く抗議し、場合によっては退席するなどの強硬策に出るべきところ、なぜか日本側はそうしなかった。それどころかむしろ、日本政府代表筋は『建設的、率直な意見交換だった』と述べたところから、今後何らかの動きが出てくる可能性も指摘されているほどなのである。

思うに、北朝鮮は日本側の出方を見ながら、『調査結果』のでっち上げとその発表のタイミングを計っていると考えるのが自然だろう。

おのれらが悪知恵の限りを尽くして拉致し、国内で破壊工作員の教育に従事させてきた日本人拉致被害者である。その安否調査に手間取っているなどという言い訳を、まさか日本側外交団が信用するはずもない。

TVニュースで伝えられたところによれば、斎木昭隆審議官が『横田めぐみさんの生存情報がある』と水を向けたところ、北朝鮮の宋日昊副局長は

『協議中』と答えた後で慌てて『調査中』と言い直した


という。



堪忍袋の緒が切れた。


(産経新聞 2004/08/13)
■【主張】日朝実務者協議 これが総書記の再調査か

拉致事件などをめぐる日朝実務者協議は、北朝鮮が再調査の途中経過を報告したにとどまり、横田めぐみさんら十人の安否確認について具体的な進展は見られなかった。不誠実な対応である。

今回の実務者協議は、五月二十二日の日朝首脳会談で金正日総書記が「白紙からの再調査」を約束したことを受けて開かれた。その首脳会談から三カ月近くたっている

北が「八人死亡、二人不明」とする最初の調査結果を出してきた一昨年九月から数えると、二年近くになる。その間、北は何をしていたのか疑わざるを得ない。

日本側は九月中に再度、実務者協議を開くよう提案した。北は「持ち帰って検討する」と答えたが、今後の対応次第では、改正外為法や特定船舶入港禁止法に基づく経済制裁の発動が必要である。五月の首脳会談で約束した二十五万トンの食糧支援などのうち半分以上の拠出をすでに決めているが、残りの支援は保留すべきだ。

北は今回の協議で、「よど号」犯四人の引き渡しについて「反対しない」という姿勢を示した。北は前から、米国のテロ支援国家の指定理由とされる「よど号」犯を早く日本に返したがっていた。そんなことよりも、十人の正確な安否情報の提供を急ぐべきだ。

(国を捨てて裏切り行為をした連中なんて、放っておけ!)

めぐみさんは最初の北の報告では、「一九九三年三月、平壌市の四九予防院で自殺した」とされたが、その後、「九五年に金総書記の息子の家庭教師をしていた」という亡命者の情報が明らかになった。最近、曽我ひとみさんの夫、ジェンキンス氏は「四九予防院に外国人が入ることはない」と証言した。「七九年に海水浴で溺死(できし)した」とされた市川修一さんを「九四年に北朝鮮の大学で見た」という元工作員の目撃証言もある。

十人の家族は誰一人、北の最初の報告を信じていない。増元るみ子さんの父は「日本を信じる」と言い残し、娘の帰国を待たずに亡くなった。有本恵子さんの父は七十六歳、母は七十八歳だ。これらの拉致被害者家族を北はいつまで待たせるのか

小泉純一郎首相は「一、二年以内に日朝国交正常化を実現したい」と言っているが、こんな北の態度では正常化どころの話ではない。

拉致事件こそ、期限を切って回答を迫るべきだ


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