外地でシンプルに考える。または、「外地だと」...られる。
2004年8月16日
(クライン孝子の日記)
(略)
戦前中のあの国を思う特攻精神って、一体どうなったのかしら?
さて
< 私はフランス在住5年目になる恵美子(43歳)と申します。
はじめまして。
偶然貴女のHPにたどり着きました。
これからメルマガ.辛口コラムなど楽しみにしたく思います。
ところで貴女の辛口コラムVO.5「特攻隊精神とテロリスト」について。
ドイツではどうだか知りませんが、ここフランスではあのような
突っ込みテロを「KAMIKAZE」と呼んでいます。テロ事件が多いものですから、「神風」「神風」としょっちゅう聞く羽目になり、私としましては非常に複雑な気持ちです。なぜならば、
日本の特攻隊は敵軍を攻撃しましたが、市民は絶対に攻撃しなかった。
戦争中、日本軍は市民を攻撃はしなかった(もちろん巻き添えはあります)。
そういう意味で、現在のテロと特攻隊を一緒にするのはあまりに彼らに失礼です。(筆者註;おっしゃる通り)
こう考えていくと、現在の「戦争」がいかに「戦争」という定義から外れているか、めちゃくちゃかがよく分かりますね。
辛口コラム最新「外国人選挙権」 私も相当危惧しています。
いったいフランスなどを見ていても、外国はどこでもそうなのでしょうが、もちろん国をよくしていくためのアプローチ方法として左翼.右翼といろいろあるのでしょうが、例え共産党であろうとも「国防」に関してだけは挙国一致の一枚岩だと思います。
戦後の日本の状況はどうなのでしょう。
祖国を、同じ日本人が潰そうとしている。内部から腐らせようとしている
...現在の状態は、危なっかしくて見ていられません。
(所謂「反日日本人」の存在だネ)
何とか日本を毅然とした「普通の国」にするために頑張って行きたいものです >
内地でももう状況は違うようだ。
(西村幸祐 酔夢ing voice)
■2004/08/15 (日) 靖国から見た終戦記念日
(略)
終戦記念日に靖国神社と日本武道館は欠かせない。もちろん千鳥ヶ淵戦没者記念公園も含まれる。
ただ、最近は靖国神社だけが敗戦の日に英霊を偲んで顕彰するという本来の場から次元の低い汚れた政争の場に引き摺り下ろされている。
2年連続終戦記念日が雨にたたられるのは珍しいが、公約を破って支那と韓国の圧力で終戦記念日に参拝できない小泉首相や、それを取り巻く状況への英霊の怒りだろう。
終戦記念日に靖国が語られる時、通常は靖国が国民や政府から客体化された対象として語られる。だが、それはちょっとおかしい。たまには靖国の立場から終戦記念日が語られてもいいだろう。今日はそんな事を考えた。
なぜなら、靖国に眠る246万6000の御柱(みはしら)こそ、終戦記念日の主役であるからだ。
そう考えると新しい発見もある。今日参拝された方ならお気づきだと思うが、この4、5年、特に3年で若い世代の参拝者が急増している事だ。今日頂いた読者のメールにも驚きをもってそれに触れてあるメールがあった。
「数年ぶりです、恐らく4-5年位でしょうか。8月15日には行っていなかったので。今年も12時頃は、結構つよい雨でした。明らかに5年前には居なかったような若者の参拝者が多く(略)噂には聞いていましたが、目の辺りにすると驚きます。運営と言えば、お年寄りというような思いがありましたので」
久しぶりに参拝された方は誰でもこのような感想を持つのではないだろうか。特に雨だとお年寄りが足を運ばなくなり若い世代が目立つのかもしれない。ただ、
英霊にしてみれば、自分と戦った同世代よりこれからの日本を担う世代の増加は歓迎しているはずだ。
(60年経ってやっと目覚めた孫・曾孫世代が、顕彰・感謝してくれてるんだものな)
英霊の立場から最も過激でかつ正直な意見が出たのが一昨年の暮れだった。靖国神社と別の追悼施設を造る動きが出たときルバング島から生還した小野田寛郎元少尉が会見で述べたあの言葉だ。拙文から引用する
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「国が靖国を護持していないだけでも背信行為であるのに、国立追悼施設を作ったら裏切りであり、敵国として断定するだろう」。
さらに
「我々は死んだら神になって国民が靖国神社で手を合わせてくれると思えたからこそ戦えた」
とも言っている。つまり、追悼懇の考える新しい追悼施設ができたら、
英霊は日本政府を「裏切り」者の「敵国と」断罪する
とまで語っているのだ。
戦死者として一度靖国に祀られた経験のある小野田氏の言葉は限りなく重い。
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こんな説得力のある言葉はない。(続く)
■2004/08/15 (日) 続き
現在、殆どのメディアが靖国が何であるかを知らないまま低レベルな報道に終始し、支那と韓国はそれ以上の無知と無理解で靖国を攻撃する。
こんな無知の連鎖構造にそろそろ終止符を打つべきだが、向こうは反日イデオロギーの核として靖国を政治利用し続けている。
今日、私は午後になってから靖国に参拝したのだが、参道で偶然知り合いのサッカージャーナリストと遭遇した。遊就館でお茶を飲んでから立ち話をしていたら、今度は先日講演を行った史の会のメンバーの方々に声を掛けられた。昇殿参拝をするので一緒にどうかと誘われて、私も念願の昇殿参拝を果たした。
本殿の造作は美しく緑の中で静謐な佇まいを見せる。やはり日本の美は神道様式の中に定律として存在する事を再確認した。
虚飾を排した静謐さはただ鎮魂のためだけに存在し、そこには政治的な妄念やイデオロギーなど付け入る隙がないのだ。
「この建築を中国人に見せればいいんですよ」と私にメンバーの方が言った。英霊にとって政治的喧騒は本当に馬鹿馬鹿しいものなのだ、と改めて感じ入った。
(略)
基本的に、これは日本国民の心情なので、「下心ある他国民」には無理に理解してもらわなくても結構でいいんじゃないかな。同じような経緯ある「他国民」にはそれなりに受け入れられているみたいだし。
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