勝谷誠彦氏のこと
2004年8月20日「勝谷誠彦の××な日々」は毎日巡回スケジュールに入ってる。
2004/08/20 産経抄
▼フリージャーナリスト橋田信介、小川功太郎両氏がイラクで殺害されて三カ月近くたつ。二人の襲撃犯なるものが「日本人はわれわれの友人なのだ。謝罪したい」と語ったという報告(金子貴一氏)が文藝春秋九月号にでている。
▼その橋田さん、小川さんとチームを組んでイラクを取材していた勝谷誠彦(まさひこ)氏が、「これを書くことは偶然生き残った私の義務なのだ」といって『イラク生残記(せいざんき)』(講談社)というルポルタージュを世に問うた。勝谷さんは「週刊SPA!」などにも寄稿する作家であり、写真家である。
▼体を張って現場に駆けつける戦場ジャーナリストで、同誌には“疾走するコラムニスト”として登場。イラク戦争については小欄とはやや主義主張や見解を異にするが、しかし『イラク生残記』は出色の作品なのだった。
▼どう出色か。まず勝谷さんは自分の行動基準を明確にしている。「私は国家の『行くな』という意思に背いて、イラクへ出かけるのである。ならば何かが私の上に起きた時には、それなりの責任を自ら負うつもりであることを明記しておくのが、日本国民としての礼儀であろう」と書く。
▼そしてあらかじめホームページで、万一の際はすべて自分の責任であり、日本政府に多大の労力と血税を使わせたことをわびる。それはともかく、著者は「フセインの穴」や「二人の日本人外交官殺害現場」を、自らも武装集団に銃口をつきつけられながら自分の目で確かめるのだ。
▼「フセインの穴」にはヘッドランプをつけてもぐりこみ、米軍発表の不審な点をいくつか挙げ、「フセインがわざわざここを選んで隠れたとは考えられない」という。当否はともかく、現場至上のジャーナリスト根性に脱帽するのである。
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