(新・日本からの通信:ええかげんにせい!)

(略)

19世紀半ば、欧米列強が東アジアへ進出してきた時、日本は明治維新をへて、近代化を成し遂げた。李氏朝鮮でも、日本と結び近代化を進めようとする独立党という一派が台頭した。しかし、旧態依然とした李王朝を維持しようとする事大党が、清国の力を借りて独立党を押さえ込んだ。その結果、李氏朝鮮の近代化の道は閉ざされた。

明治日本と李氏朝鮮を比較した場合、中華帝国システムとの距離のとり方に大きな違いがあった。高句麗がわが国の歴史の一部だという支那の主張の根拠は、歴史的に朝鮮半島を属国とみてきた点にある。実際、朝鮮半島の歴代王朝は中華帝国の柵封体制下にあったのだ。宗主国の意に沿わない近代化など、李氏朝鮮ではゆるされなかった。

李氏朝鮮の近代化を阻んだ中華帝国システムとは何か?李氏朝鮮では、国民国家における言語としての朝鮮語の発達そのものが遅れていた。王朝における公式な文書はすべて漢文で書かれており、ハングルではなかった。ハングルとは、両班でない庶民の使用する文字だった。

ちょうど、中世ヨーロッパの公文書がラテン語で書かれていたのと同じ。とくに、中・東欧では近代に入ってからも、都市に住む支配階級の読み書きはドイツ語であり、チェコ語、スロヴェニア語などのスラブ語は農民の話し言葉にすぎなかった。フランス革命、ナポレオン戦争をへた19世紀になって、中・東欧の諸言語は文法の体系化がなされ、それに伴って文学が発展した。国民国家における言語の確立である。

日本の場合、すでに平安時代から情報の伝達、記録の手段としての文字は日本語(漢字+仮名)であった。漢文、漢詩は、あくまで貴族、武士、僧侶などの教養だった。明治維新後、政府によって日本語文法の体系化が進められた。江戸時代から庶民の識字率が高かったことは、近代的な日本語の早期確立に寄与した。

さらに、漢字とならぶ中華帝国システムのキーワードが、朱子学などの儒教である。李氏朝鮮はいわば儒教原理主義国家であった。

仏教を国教とした高麗王朝を徹底的に否定した李氏王朝には、今の韓国、北朝鮮とも相通じるものがある

(全否定で、積み重ねが全くない)

さらに、過去を糾弾する伝統は、第二次大戦後に漢字まで追放してしまったのだ。

考えてみれば、連中のハングル文字はオール仮名で書かれた日本語のようなもの。

(呉善花教授がこのように言って、「深い思考はできない」とか書いてたな。

同音異義語が多過ぎて意味不明のまま読み流すとか。たとえば、スソ=すいそ、と暗記してきたが、来日して「水素」の文字みていっぺんで理解できたとか)


日本に入ってきた儒教(朱子学)は原理的でなく、徳川幕府などの為政者にじつに都合よく解釈されたといえる。支那と地続きの半島と海を隔てた島国とでは、漢字、儒教などの捉え方がかなり違っていた。

問題は、日本に前時代を徹底的に否定する伝統がないことの要因である。

まず、最も重要なのは、天皇制が古代から存続していること。つまり、一度も王朝が崩壊していない。

藤原氏、平氏、源氏、豊臣氏、江戸幕府などの盛衰、興亡は、あくまで政権交代の一環だった。戦国、江戸期に領主が替わっても、前領主の統治姿勢は基本的に踏襲されていた。

次に、日本人の死者との向き合い方が、大陸の人とは異なること。

日本史上、勝者が滅びた敗者の墓や菩提寺まで破壊したケースはまれである。最近、支那がさらしもの用に謝罪する東条英機の銅像を造った。

が、今後、日本で歴史の解釈がどう変化しても、日本人がマッカーサー、スターリン、毛沢東、金日成をさらしものにする銅像を造ることなど考えられない。

盧武鉉政権による反日法と朴正煕時代を否定する動きについて、政争、権力の正統性の確立など様々な要因が考えられるが、やはり民族的な伝統、習性にあるのだろう。

盧武鉉は金大中の後継者であり、前大統領を裁くことはできない。経済危機の中で大統領に就任した金大中には、前任者の金泳三を裁く余裕がなかった。金泳三は前任の二人の元大統領を裁いた。そうなると、盧武鉉のターゲットは、必然的に朴正煕となるわけだ。

とくに、政治制度の民主化が進み、「朴政権=暗黒の独裁」のような捉え方が、若い世代の間で広まっているのだろう。ちょうど「日帝時代=暗黒時代」みたいな感じで。

さらに、朝鮮戦争の記憶が薄まる中で、「金日成=民族の英雄」「朴正煕=米帝(+日帝)の手先」のような歪な歴史観が形成された結果か。

勿論、北朝鮮の工作活動の成果でもあるだろう。

(略)



近代日朝交渉史で唯一ひっかかるのが「閔妃暗殺」だった(岡崎久彦氏もそのような感想)が...


閔妃が現代の韓国で高く評価されているのは、王妃殺害という異常性で日本人の贖罪意識を引き出し、その上に立っての対日糾弾を行えるカードとして使えるからであろう。


http://web.sfc.keio.ac.jp/~gerugeru/jiji/kankoku_heigou2.htm

「女性」でも「暴君」なら、同じ対応とるわな。


日本のおろかな女性作家が、閔妃に同情的な本を書いたことがあるが(角田房子著「閔妃暗殺」と思われる)、

閔妃は義父に背恩したうえに、民衆を塗炭の苦しみにあわせ、国費を浪費して国を滅ぼしたおぞましい女である。

このような韓国史に対する無知が、かえって日韓関係を歪めてきたことを知るべきである。


新潮文庫かな。

簡単に手に入るんで読んだのだが、これの影響はでかかったよなぁ。


閔妃はか弱い王妃ではなく、政敵を次々に葬っていた冷酷非情な権力者で、大院君とも激しく対立していた。


同じような立場の西太后がちっとも同情引かないのに、明成皇后(閔妃)が案外そうでもないのは、教科書または参考書に載ってる「写真」のせいだな。

かたっぽそれらしい(=権力欲の塊)オバンで、他方は細身の一見楚々とした「らしくない」風情、に見えるもんなw。

無知の第一印象は、こわひ、ヨ。

同じようなのんが、ローザルクセンブルグと樋口一葉、なw。

コメント

お気に入り日記の更新

テーマ別日記一覧

まだテーマがありません

最新のコメント

この日記について

日記内を検索