毒ガス弾は「遺棄」兵器ではない
テイケイ(株)社長 高花豊
旧満洲に駐屯した日本軍(関束軍)が残した兵器をめぐって誤解が蔓延している。
中国政府はこれを旧日本軍による「遣棄兵器」だと主張し、その処理と被害の補償を日本政府に要求しているが、問題の兵器は中国がソ連から継承したもので、その管理責任が中国政府にあることは歴史的経緯からして明らかである。
1.遺棄でなく接収
辞書によれば、遺棄とは「すてること」「おきざりにすること」であり、接収とは「国家などが所有物を取り上げること」である。
つまり遺棄は自分の意思で放棄するのに対し、接収は強制力によって取り上げることを意味する。
であれば、満洲にあった関東軍は、昭和20年8月9日に当時有効だった日ソ中立条約(日ソ不可侵条約)を破って侵攻し、暴虐の限りを尽くしたソ連軍に降伏して武装解除されたのだから、日本軍は兵器を遺棄したのでなく、ソ連軍によつて接収されたというのが正しい事実である。
ソ連国防省軍事図書出版部発行の公刊戦史『第二次世界戦争』は、対日戦果を、日本軍の死者8万3千人、捕虜60万9千人、捕獲兵器は火砲1565門、迫撃砲と擲弾筒2139個、戦車600輛、飛行機861機、軽機関銃9508挺、重機関銃2480挺、自動車2129輛、馬1万2984頭、各種倉庫769棟などと発表した。
これらすべては関東軍が「遺棄」したものでなく、武装解除によつてソ連軍が「接収」したものである。
またこのリストに含まれていないその他の武器、兵器工場、病院、研究施設、および上記倉庫に備蓄されていた莫大な食糧、被服、原料なども同じく接収された。
その中に日本軍の毒ガスおよび毒ガス弾もあり、これもソ連軍に接収され、最終的に中国人民解放軍に引き継がれた。
平成7年4月に批准された化学兵器禁止条約は、
「1925年以降、いずれかの国が他の国の領域内に、その国の同意を得ないで、遺棄した化学兵器を遺棄化学兵器という」(第二条六項)
と定義し、これを根拠に中国東北地方の毒ガス弾処理は日本政府の義務と解されているが、以上の理由により、
そもそも日本軍の遺棄兵器など中国に存在しない。
2.接収者に管理責任
ソ連軍が接収した膨大な物資のうち、規格に合わない日本軍の武器弾薬、装備品、大半の備蓄物資などは毛沢東の八路軍へ直接、あるいは蒋介石の国民党軍経由で、そして最後は、再開された国共内戦で共産側が勝利し中華人民共和国が建国されたことに伴って、その接収された全軍需品および施設は中国人民解放軍によって継承された。
これが満洲をふくむ全中国の軍需品の最終処分の実態であった。
にもかかわらず、戦後50年が経過した今日、中国はソ連から継承した旧日本軍の毒ガス弾の処分と被害の補償を求めてきている。
しかし日本としては毒ガス弾をふくむ全ての兵器が接収されたものであり、中国はその接収物を継承したのだから、継承の瞬間から国際法上も管理責任は中国側にあり、日本側は責任をとることができないし、またとるべきでない。
もしこの中国の論理を認めるならば、中国が継承したソ連の接収物資から発生するあらゆる被害に対し、日本政府は永劫の未来まで、責任を負わされることになる。
現在、日本政府は中国にある毒ガス兵器の処理に協力しているが、あくまでこれは日本の好意によるものであることを明示しつつ進めるのが筋道である。
ところが当時の村山富市首相と河野洋平外務大臣は、どこの国のものかを問わず、中国に存在するすべての毒ガスと毒ガス弾を日本が処理することを約束した。
これは遺棄と接収との違いが判らぬ無能な政治家が先頭に立って、日本の国益を大きく損なった典型的な例であって、この愚行により日本の名誉は損なわれ、負うべからざる負担を長く負うことになった。
なお戦時中、日本軍が毒ガス弾を装備していたことも非難されるいわれはない。
当時、日本軍と対峙していた蒋介石・国民党軍は米英から、毛沢東・共産党軍はソ連から供与された毒ガス弾を保持していたのだから、日本軍が対抗上、研究開発し、保持したのは当然のことである。
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