47歳男性の所感

2004年8月31日
(はてなダイアリー「finalvent の日記」から抜粋)

■そして自由を感じる
 傲慢かもしれないが、自分が左翼的な思考行動の牽引力から離れてきていることに、なにか壮快な自由を感じる。私はウヨクでもサヨクでもない。そう言っても無意味だし、そう言いたいわけでもない。ただ、こざかしい倫理で自己の正当を探るような、そんなものをすべて蹴散らしてしまいたい。(うんこ飛んできそうな感じもするがな。)

■自分という意識
 自分という意識は4歳くらいまで遡及できる。そしてコアな自分は思春期だろうか。それから、25歳くらいまでは精神に成長の感じはあった。17歳になるその瞬間を今でもまざまざ覚えている。19歳のとき浪人した新宿の空気を今でもビビッドに覚えている。大学は長かった。

 それから父が死ぬ31歳はついこないだのように思う。ある意味で、自分の精神は25歳くらいで止まった。普通、人というのはそんなものかもしれない。

 もちろん、それとは別に47歳の自分をそれなりに受け止めてはいる。かすかだが、衰えとは違った意味で自分の意識に、25歳のそれとの差異を感じる。また、おそらく死の浸食だろうが、眠りと無意識が自分の精神を広く覆ってきているような感触もある。これがより多くなり、私の精神は自然に解体され死に向かうのかもしれない。

■ ブログ雑感
 こうしてブログを書いている。以前は、掲示板、フォーラムとかで書いていた。2ちゃん的な世界は違和感があったので参加していない。そのうち、自分は、ロートルだなと思った。かといって、それほど活字的な世界で充足しているわけでもない。MLくらいがいいと思ったが、いろいろあってなかなか発言できなくなってきた(基本的には病気のため)。

 そしてブログを始めて1年を越えた。ブログの世界も変わった。

 私は誰にむけて書いているのだろうと、もちろん、思いとどまる。誰が読んでいるのだろうと気になる。しかし、なにかわからないものが、ただ前へ進めさせる。たぶん、その過程で、本当なら大切な人を振り捨て、幻滅させてきたのだろう。それは、少し、青春時の恋愛に似ていると思う。そしてその類似のように、悔恨に苦しむ。しかし、恋愛と同じように、私は私でしかない。私の精神の醜悪さを含めて私の精神でしかありえない。

 だからなのか、それでもなのか、唾棄されても前に進んでいる。不思議な気はする。いや、正確には前へ向かっているのではないのかもしれないと思う。私が書いていることの多くはすでにできあがった「私」の吐き出しに過ぎない。よく吐き出るものだゴミがとも思う。過去に向かっているのかもしれない。

 私のなかにそれだけ暗いゴミ貯めがあるのだろうが、いや、それは多分に歴史というのがそういうものだろう。47歳まで生きた。よく生きてきたなと思う。

 いろいろあって、死にたいとも思わない。自分がこの世を引き受けているぶんだけ、自分の死は自分の死でもあるまい、とも思う。

 そして、こうして半世紀近く生きた自分は雨空を見上げて、自分が老人となりこの天を仰ぐ日もくるのかと思う。それは、間違いなく祝福だ。神は私に人として生きる経験を強いているのだろう。いや、正確にいえば、「神」は比喩でしかない。

■憂楽帳(毎日新聞コラム):愛国心(8/30)

 薄茶色に変色したはがきを父から見せられたのは、中学生の時だった。兵隊の絵が描かれた素朴な絵はがきで、「おじさんは今、悪い支那人をやっつけています」と書かれていた。第二次世界大戦で中国に出征した父の叔父から、当時小学生の父に宛てたものだった。「当時はみんな、中国人は悪人だと教えられ、それが正しいと信じていた。怖い話だ」というのが父の述懐だった。

 でも、それいつらはほんとに「悪い支那人」だったかもよ。

 参照⇒通州事件 - Wikipedia

 こいつも⇒あやしい調査団通州へ 5 通州虐殺事件


コメント

お気に入り日記の更新

テーマ別日記一覧

まだテーマがありません

最新のコメント

この日記について

日記内を検索