「反日日本人」のみなもと。
2004年9月8日(宮崎正弘氏メルマガ)
(略)
日本政策研究センター『明日への選択』(2004年9月号)
これは伊藤哲夫氏が主宰する保守政治哲学および政策論議が中心の雑誌だが、今月号のなかで、田辺敏雄氏へのインタビュー記事に「労工狩り証言は作り話」という簡潔にして重要な証言がある。
「強制連行」なる作り話がうまれた背景について詳しく述べられているが、要は「中国抑留」の日本人が帰国してからの偽証からうまれたという信じられない経緯が淡々と語られている。
ソ連軍が旧満州を侵略し、日本軍捕虜を66万余、かっさらっていった。この事実は誰もが知っている。
1950年に、この日本人捕虜のうち、中国は969人をソ連から引き取った。かれらは撫順収容所監獄に入れられ、連日連夜、徹底的に洗脳された。
そこには長期的な戦略意図があった。
「注目すべき点」として田辺氏は指摘する。
「多くが北支で主に中国共産党と戦った、39,59,63,117師団という四個師団の将校」だった事実。ボロ負けにまけた恨みを晴らしたのだ。
彼らを連日、洗脳し、「ふたつの態度と二つの道」といって、でたらめな自白をした人が帰国を許され、最後には「自白」しない将校を若手がつるし上げ、なかには自殺した軍人もいた。
筆者も撫順の「収容所址」を見学に行った。この施設のミソは、皇帝・溥儀のベッドやら、使った風呂が展示されていること。また写真パネルの多くは、中国各地にある「反日」と同じだが、「中帰連」の寄せ書き、「中帰連」の反省文と証言が夥しく飾られていた。
この組織こそガンだ。
また「労工狩り」なる作り話を集中的に「証言しているのは中国抑留者全1109人のなかでも、大木仲治、小島隆男、菊池義邦(名前がつづく)。。」の11人にかぎられ、そのうちのふたりをのぞいて、ほかは「北支那方面軍第12軍の第59師団に所属していた将兵ばかり」というのだ。
「中帰連」(中国帰還者連絡会)なる組織が、帰国してから「証言」したものが、強制連行のみならず、のちに本多勝一が書いた『天皇の軍隊』にでてくる嘘八百の元になっている、という。
もとより『三光』なる皆殺し行為は、もともと毛沢東主導権が確立される前後の共産党過激派の戦術であり、日本で後にでた「三光」は、あまりの嘘に、実際の軍人体験者から抗議が集中し、版元は絶版とした。
要するに虐殺を得意とするのは共産党であり、日本軍はそうした仕業をするはずがないからだ。
森村誠一『悪魔の飽食』も、中国で翻訳がまだ売られているが、あまりの杜撰さと虚偽に満ちている内容に抗議が集中した日本では絶版である。
731部隊についての過激過剰且つでたらめな証言も、南京、万人杭、平頂山も、すべて「中帰連」の連中が「証言」したものである、という。
昭和46年、本多勝一は『中国の旅』を書く。突如、この本は「万人杭、平頂山事件、三光作戦。。」なるものを紹介していく。そして爾後、これらの「日本軍の残虐行為」が我が国に「歴史教科書」に登場するわけである。
蛇足ながら、これら全ての反日記念館の殆どに小生は足を運んで「見学」している。いずれ「反日陳列館」を一覧する書物を書くつもりである。
ともかく2008年オリンピックでは中国への外国人観光客が増える上、なかにはデタラメが展示された反日歴史館へ行く懼れがある。展示を頭から信じてしまう外人ジャーナリストもでてきそうである。
「中国抑留者に対する洗脳も、日中国交回復前にわざわざ本多勝一を中国に招いて現地取材させたことも、北京五輪を前にして反日記念館の建設ラッシュも、すべて先を見越した中国の宣伝戦です。その宣伝戦に日本は負け続けている」との指摘は思わずぞっとするのである。
(雑誌『明日への選択』は年間7000円。03−5211−5231へ)。
「嘘も百回言えば本当になる!」てなこと信じてる連中相手だからなぁ。(嘆息)
傲慢 VS. 謙虚てな相反する国民性じゃ、どうなんでしょネェ。
どなたか、支那の中学・高校教科書の逐次反論書を、「反論」はネットに載ってる程度のものの寄せ集めでもいいから、作ってくださらないかしらネェ。
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