(多事X論)
■平成16年9月9日(木) ダイエー 〜銀行に正義はないのか〜
一連のダイエー問題の報道姿勢をみれば、あたかも銀行とダイエーとの攻防(民と民の攻防)のように錯覚するかもしれないが、実態はダイエーと金融庁の攻防(民と官の攻防)であり、金融庁の厳格査定で早期の不良債権処理を迫られている銀行が産業再生機構入りを仲立ちしているだけだ。
この件を明日への道標では
『銀行は「ポルポト」竹中に後ろから銃を突きつけられ、「ダイエーを殺せ、さもないとお前を殺すぞ」と脅され、涙を飲んで、まだ懸命の努力を続けるダイエーに、刀を振り下ろそうとしている。』
と指摘しているが、まさにそのとおりだろう。
さて、その銀行に対しては、バブル期以降はまるで池に落ちた子犬を叩くが如く安易に批判し敵視すらする風潮が蔓延しているが、このような風潮にはいつも強烈な違和感を覚える。
世の中にはまるで文化大革命の紅衛兵よろしく、バブル期の過剰な貸付が膨大な不良債権になった云々として銀行のモラルがどうのとか、銀行を叩き潰せば世の中が丸く収まるかのような物言いをする手合いがいるが、この手の奴に一度聞いてみたいのだが、それじゃあお前がバブル期の銀行員だったら過剰な貸付を阻止できたとでも言うのか?
私はバブル崩壊後に社会人になったので、本当の意味での当時の世相は知らないが、それこそ国中がバブル景気に浮かれていたのではないのか?
不良債権といっても、少なくとも合法的な商行為の中で発生したものだし、バブル崩壊後銀行は自主的に延々と不良債権を処理し、またその過程で責任をとって辞任した経営者だっていた訳だ。
昨今の銀行批判は、大東亜戦争を批判するように当時の世相なり戦後の敗戦処理を無視して、結果論を現在の価値観で批判する日本軍悪玉史観に相通ずるものがあり、浅ましさの発露としかいいようがない。
その意味において世間から叩かれまくった銀行に対しては大いに同情するのだが、一方で今の銀行にはその同情も冷めつつある。
ダイエー再建問題では、まさにダイエーに死刑宣告する役回りを金融庁に脅迫されて演じているのだが、これが大銀行の企業モラルなのか?
医者が患者を診断するプロなら、銀行は企業を診断するプロであって、銀行だってダイエーの債権が優良債権である事位解っている筈だ。
ダイエー高木社長はTVインタビューで『民間で出来る事は民間でやります』と明言していたが、これは小泉が掲げるビジョンと寸分の違いもなく、今回の騒動は竹中金融庁=小泉政権に100%非がある事は明白ではないか。
銀行は散々マスコミや世間に叩かれ、また今回の件にしても金融庁から自らの存続自体も脅かされている訳だから同情すべき点がない訳ではないが、だからといって道理を無視して自己保身の為にかつての取引先を生贄にするのであれば、もはや企業としての倫理が崩壊したと断言せざるを得ない。
闘う意思のない組織はやがて滅亡するのみだ。
ダイエー高木社長は理不尽な要求を頑として撥ね付け、孤軍奮闘しているではないか。
銀行に本当にモラルがあって正義があるのなら、政府や国民に訴えてほしい。
『小泉政権は言ってる事とやってる事が全然違うじゃないか』と。
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