「若気の過ち」、さっぱり、してきなはれ。
2004年9月11日(産経新聞)
ジェンキンス氏、座間に出頭へ
拉致被害者、曽我ひとみさん(45)の夫、ジェンキンスさん(64)は11日午前、在日米陸軍司令部のある「キャンプ座間」(神奈川県)に出頭するため、東京女子医大病院(東京都新宿区)を退院し、曽我さんら家族とともにワゴン車で出発した。
基地内では、軍法会議にかけるかどうかを判断するための予備審問など米軍の司法手続きが始まる。ジェンキンスさんは「司法取引」により実刑を回避したい考えで、処分は1カ月以内に決まるとみられる。
出発に先立ち、曽我さんと娘2人は滞在先の都内のホテルから病院に移動。曽我さんはホテルで「一日も早く4人で佐渡(新潟県)に行って暮らしたい」と語った。
ジェンキンスさんは在韓米軍に所属していた1965年、部隊を抜け出し北朝鮮に渡ったとして、脱走など4つの罪で訴追された。
司法手続きには、弁護人に相当する在韓米軍所属の独立法務官、ジェームズ・カルプ大尉が立ち会う。ジェンキンスさんはこれまで病院でカルプ大尉と面会を重ね、「不名誉除隊」での決着を目指している。
ジェンキンスさんは、北朝鮮で曽我さんと結婚し、長女、美花さん(21)と二女、ブリンダさん(19)が生まれた。曽我さんは2002年10月、日本に帰国。ジェンキンスさんと娘2人は今年7月、北朝鮮からインドネシアに出国し、家族が再会した。
ジェンキンスさんは当初、訴追問題を理由に日本行きに難色を示したが、曽我さんの説得などにより来日。入院して検査や治療を続けていた。
曽我さんと娘2人は当面、基地内に滞在するとみられる。
■ジェンキンスさん訴追問題 ジェンキンスさんは1965年に在韓米軍の部隊から北朝鮮に亡命したとされ(1)脱走(2)他の兵士への脱走教唆(3)利敵行為(4)軍への背任奨励−の4つの罪で訴追された。当時は米陸軍軍曹。米軍はジェンキンスさんの所属を、来日した7月18日付で在韓米軍から在日米軍に移籍。キャンプ座間への出頭で予備審問など司法手続きが始まる。
≪ジェンキンスさんの経過≫
・1965年 在韓米軍所属のジェンキンスさんが北朝鮮に亡命。米軍が脱走など4罪で訴追
・80年 拉致被害者、曽我ひとみさんと結婚
・2002年10月15日 曽我さんが帰国
・04年5月22日 2回目の日朝首脳会談。ジェンキンスさんは小泉純一郎首相から来日を促されたが、訴追問題を理由に拒否。金正日総書記が第三国での一家再会を提案
・7月9日 ジェンキンスさんと長女、美花さん、二女、ブリンダさんがインドネシア訪問。1年9カ月ぶりに曽我さんと再会
・18日 一家で帰国・来日。ジェンキンスさんは検査・治療のため、東京女子医大病院に入院
・8月5−9日 ジェンキンスさんが在韓米軍所属のジェームズ・カルプ独立法務官と面会。訴追問題を話し合う
・9月1日 ジェンキンスさんが声明を発表。在日米陸軍司令部のあるキャンプ座間に出頭し、米軍当局の事情聴取に応じる意向を示す
(09/11 09:45)
ぜぇ〜んぶ、吐いてネ。
コメント