腑に落ちる解説。

2004年9月13日
(西尾幹二のインターネット日録)
2004年09月13日日本人の自尊心の試練の物語 (六)
戦後世代が陥った「第2の敗戦」

戦争が終わって不思議なことが起こった。各地で相当数の日本人が自決したが、内乱はなかったし、大量の集団自決も起こらなかった。米軍進駐が始まっても国民生活は平静で、波乱がない。

「愛国心」の象徴だった国民服が姿を消す。「夷狄(いてき)」の言葉であった英語が氾濫(はんらん)する。「国体」と相いれないはずのデモクラシーが一世を風靡(ふうび)する。あっという間だった。北海道から鹿児島までの主要都市には民間人殺戮(さつりく)を目的とした執拗(しつよう)な絨毯(じゅうたん)爆撃があったし、二個の原爆投下がありながら、アメリカへの復讐心は燃え上がらなかった。

これを奇蹟(きせき)としたのは英米など連合軍の側であった。血で血を洗う国内の殺戮混乱なくして日本の降伏は治められまいと、恐怖と緊張をもって上陸した占領軍は、あっ気にとられた。天皇の詔勅の一声で、たちまち林のごとく静かに、湖のごとく冷たく、定められた運命に黙然と服する日本国民の姿を見た。

占領軍はこの静かなる沈黙にむしろ日本人の内心の不服従を予感した。敗戦の現実に対する日本人の認識の甘さが原因だと読んだ。戦争の動機に対する自己反省の不足が、内的平静さの理由だとも考えた。日本人は白旗を掲げたが、敗北したと思っていないようだ。日本人に「罪の意識」を植えつけなくてはならぬ。現に『タイムズ』はそう論じた。南京とフィリピンにおける日本軍の蛮行という占領政策プロパガンダが、新聞やラジオを使って一斉に始まるのは、終戦から三カ月程経ってからであった。

日本国民の内心の「不服従」はある程度当たっているかもしれない。

大抵の日本人はアメリカ、イギリス、フランス、オランダ、ソ連という主たる交戦相手国に「罪の意識」を抱かなかったし今も抱いていない。

日本の戦争が一つには自存自衛、二つにはアジア解放であったことを戦後のマスコミの表にこそ出ないが、あの時代を生きた日本人の大半はよほどのバカでない限り知っていた


たとえ歴史の教科書に、平和の使徒アメリカが侵略国家の日本を懲らしめるために起ち上がったのがあの戦争だという「伝説」が語られていても、米ソ冷戦下で、アメリカの庇護に頼っている日本人は、まあ仕方がない、好きなように暫(しばら)く言わせておけよ、という二重意識で生きていて、本気にはしていなかった

戦後の経済復興をなし遂げたモーレツ社員、産業戦士はみなその意気込みだった。

まさか自分の子供の世代が、日教組の影響もあって、この大切な二重意識を失ってしまうとは思わなかった。

子供たちが教科書にある通りに歴史を信じ、日本を犯罪国家扱いする旧戦勝国の戦略的な“罠”にまんまと嵌(はま)って、抜け出られなくなるなどということはゆめにも考えていなかった


1985年頃から日本の社会には右に見た新しい世代が呪縛された「第二の敗戦」というべき現象が発生し、今日に至っている。

けれども、問題は戦争が終わってすぐの日本人の「林のごとく静かな」あの無言の不服従の不明瞭な態度にこそ「第二の敗戦」の主原因があるのではないかと、私は最近、やはり「第一の敗戦」の敗北の受けとめ方への日本人の言語の不在をあらためて問題にしなくてはならぬと考えている。

なぜ日本人は戦後もなお自己の戦争の正しさを主張しつづけなかったのか。不服従は沈黙によってではなく、言語によって明瞭化されるべきではなかったのか。

アメリカへの異議申し立ては、60年安保のような暴徒の騒乱によってではなく、日露戦争以後のアメリカの対アジア政策の間違い、たとえ軍事的に敗北しても日本が道義的に勝利していた首尾一貫性の主張によって理論的になされねばならなかった。

民主主義はアメリカが日本に与えたアメリカの独占概念ではなく、古代日本に流れる「和」の理念の中により優位の概念が存在することの主張を伴って教導されなくてはならなかった


これこそが今後わが民族が蘇生するか否かの試金石である。


まず思い浮かぶのが、故江藤淳氏の「忘れたこと忘れさせられたこと」だったかで、初めて当時の公文書援用して暴露された、占領軍の言論統制(私信まで及んだ)と公職追放(兵糧攻め)の7年間とその後遺症でしょね。

問題はやはり、1952(昭和27)年4月28日になって以降、それが改まらなかったということですが、当時は朝鮮(動乱)戦争中かな、かつての日本の役割を自分が引き受けなければならなくなってやっと満州事変以降(いや日清戦争・三国干渉の意味も)の日本の置かれていた意味やその行動の決断の意味がやっと理解できたような、お人よしだけど田舎もんのアメチャンにやらせとけ、少なくとも今、後ろから鉄砲撃つようなことは止めとけ、のような感じで「戦後清算」(これこそ強烈な米国批判・非難になるはず。西部邁・小林よりのりバリのネ。つまり「復讐」さね)結果的に怠ったようになってしまったのかもしれないナ。

でも、いまだバリバリ現役の実際戦地経験ある元従軍兵士(栄光ある帝国陸海軍兵士で、ご自身方も同期先輩後輩の身を以って国に殉じた偉業に遅れたとの個人的忸怩はあったろうが全く後悔なんてしてやせん)たちが怖いんで、大学の講堂とか偏った連中の溜まり場でコソコソジャーゴン(特殊隠語w)でくっちゃべってたんだろな。それの口演録が未来社の丸山節爆裂「現代政治の思想と行動」だったりするわけかな。

どっぷり浸かった口なんで、なんともはやですけどネ。

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