(宮崎正弘氏のメルマガから)
(西村真悟衆議院議員のレポート)
『二年目の九月十七日、九段会館の意義』
 平成16年 9月20日(月)

本年の九月十七日は、初の小泉総理訪朝から二年目である。

失踪者問題調査会の荒木和博氏は、小泉総理の二年前の九月十七日と本年五月二十二日の訪朝を、真珠湾とミッドウェーにたとえている。最初の訪朝で真珠湾のようにうまくいったと得意になって二回目の訪朝をしたがミッドウェーで帝国海軍が壊滅的打撃を受けたように失墜したというのである。

いずれにしろ、北朝鮮は拉致した日本人を、十三人と限定している。そのうち五名生存、八名死亡としている。これに対して、日本政府は、十五名が拉致されたと認定している。日朝の差は、二名。

北朝鮮は、久米裕さんと曽我ミヨシさんは入国していない、といっているから日朝に被害者数二名の差がでているのだ。

さて、拉致被害者は、十三名か十五名か。
いずれにしろ、この十三〜十五名の範囲で二回の訪朝をしたのが我が国の総理である。総理には、この他にも、拉致被害者はいる、という意識もないらしい。

しかし、寺越一家三名は岸から目と鼻の先の日本海で操業していて行方不明になり三十数年経って一番下の息子が北朝鮮にいるのが確認された。北朝鮮によると一人は海の上で死に、一人は北朝鮮で死んでいる。・・・これは連れ去られたとしか考えられないのだが、驚くべきことであるが、日本政府はこの寺越さんを拉致されたと認定することを拒否しているのである。

また、久米さんを拉致した犯人は現行犯として逮捕されて久米さんを北朝鮮に連れ去ったと石川県警に供述しているし、曽我ミヨシさんにいたっては、娘のひとみさんと一緒に歩いているところを袋に入れて連れ去られている。
従って、この人たちを拉致から外すこと自体が北朝鮮の「ウソ」で固めた不誠実な態度を明確に示しているのだ。

しかし、小泉総理が北朝鮮金正日に、ここを問い詰めた形跡はない。反対に二回目の五月二十二日にいたっては、八名の再調査を約束した金正日の「誠意を評価」して帰ってきている。従って、この小泉氏が交渉当事者であるから、次第に拉致被害者は十三名の範囲に縮減されてきている。さらにいうならば、被害者十三名のうち、帰国できた五名とその家族のことだけが交渉対象に縮減されていたのが五月二十二日の二回目訪朝であった。
そのとき、死亡したとされる八名と百名をはるかに超えると思われる拉致被害者は、切り捨てられる方向へ流されていたのだ。

誰でも、たとえ一名でも二名でも拉致被害者が帰国できれば、嬉しい。しかし、その一名帰国の裏に、百名の生還が不可能になる事態が横たわっていればどうするのか。生きているのに、百名が死んだとされるとすれば・・・。

これが、拉致被害者救出の最大の課題であった。
このなかで、総理大臣は、参議院選挙を控えた人気浮揚のことが頭にちらつく中で、家族帰国の「えさ」に吸い寄せられて二回目の訪朝をしたのである。

(西尾・中西両教授の指摘するところだよね)

結果は、確かに「絵になる」家族帰国がもたらされた。
しかし、「絵にならない」死亡したとされる八名のこと、特定失踪者四百名のことは、何の進展もなく四ヵ月を経過している。「絵にならない」ことは放映しないのがマスコミである。

しかも、この膨大な被害者を奪還する手段である「制裁手段」を小泉氏はピョンヤンで放棄してきているのである。

九月十七日の九段会館における「拉致被害者救出、国民集会」はこのような危機的状況の中で開催された。

従って、集会の重点を死亡したとされる八名と四百名を越える特定失踪者の救出に移したのだ。初めて特定失踪者の藤田君の弟が演壇に立ち、数十名の失踪者家族が紹介された。そして、集会の決議は、「経済制裁断行」を政府に要求することであった。

小泉外交や非公式接触のもたらした負を克服すること、つまり拉致問題の幕引き路線を消し去り、むしろ「これからが戦いの本番」であることを確認するための国民有志の努力が、九段会館の国民集会であった。

会館内に入りきれない人々が、野外にあふれ、多くの人々が全国から集まってくれた。「戦いは、始まったばかりだ」との感を強くした集会だった。そうであるからこそ、やはり、この際言っておかねばならない。

前の四月三十日の日比谷野外における「拉致被害者救出集会」は、参議院選をひかえて再訪朝を熱望する小泉内閣と小泉氏をピョンヤンに呼び込んで「みやげ」をせしめようとする北朝鮮の意向に、期せずして(期してかもしれない)見事に合致した一種の「クーデター」であった

昨年末以来、北京や大連で非公式な接触があり、連日メディアは北朝鮮の言い分を代弁する者を画面に登場させていた。
その中で、小泉再訪朝の路線が浮上してきていた。その再訪朝の目的は、帰国した五名の子供達家族の日本入国に絞られていた。そして、ここに関心が高まれば高まるほど、死亡とされた八名や特定失踪者の問題は背後に退いていた。

つまり、総理再訪朝による「拉致問題全面解決」には始めから程遠かったのである。これは、実務者レベルの交渉に任すべき事柄であった。よって、家族会や議連は、子供達の帰国という成果をちらつかせた北朝鮮の誘いのなかでの総理の再訪朝は、死亡したとされる八名や他の大勢の拉致被害者を切り捨てる「幕引き
」になりかねないので、安易な総理の再訪朝は留まってほしいとの意見で一致し、それを政府に申し入れる声明を発していた。

繰り返す。総理再訪朝反対が、家族会の総意として発表されていた

(子供たちは「この時点では」連れて来なくていいと言ってたんだよネ)

そういう中での四月三十日の日比谷での集会であった。そのとき、演壇にたった家族数名が、突然、「孫を取り戻すために、小泉さん、北朝鮮に行ってほしい」と言い出したのである。それも、大正期の国政演説会風に「宰相の心構えを説く」というような口調である

(地村のおやぢだったっけぇか...ナw)

いうまでもなくその発言は事前に家族会や議連で一致した意思と全く違うものであった。(さらにいうまでもなく発言者は無邪気でただ思いを素直に述べているという風で、意図的に家族会の合意を裏切って政治的効果を狙うというものではなかった)

しかし、「小泉さん、ピョンヤンに行って、孫を連れて帰るべし」という声は、その集会の決議のように流布していき、二週間後の政府の総理再訪朝発表まではあっという間であった。

私は、この流れを見ていた。
これは一種の「クーデター」であると思っている。
誰が仕組んだかは,おおよそ分かっている。 


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