だが、それらにも増して、早急に議論されなければならないテーマがある。それは、「核戦略」という、核武装には必須の、知的な体系であり、必要とあらばそれを実践する精神の機軸を築き上げることである。

六〇年代初頭、アメリカの強硬な反対を押し切って、フランスが核保有に踏み切ったとき、最大の支えとなったのは、ド・ゴール大統領の側近ピエール・ガロワの打ち立てた核戦略だった。

ガロワの核戦略論は、フランスの核保有は冷戦構造下における世界の安定に寄与する、としてアメリカを知的、かつ政治的に説得するものを持ち合わせていた。

二大国だけが核を持つ状態よりも、西側の多くの国が核を持った方が、ソ連側を戦略的に混乱させ、その軍事行動を抑止する、と主張したのである。

フランスの核兵器整備は、ガロワの戦略に忠実に則る形で実施された。オーヴェルニュ山中に深いサイロを築き、地上発射のミサイルを配備、さらに潜水艦、航空機という、いわゆる「核の三本柱」を備えた本格的な独立核戦力を整えていった。

イギリスの核は、フランスとは全く異なった戦略の上に立っている。アメリカの核システムとリンクしているその核戦力は、イギリス単独の判断では使用することはできず、あくまでアメリカとの”共有ボタン”になっている点が際だったその特徴といえる。技術的にもアメリカへの依存度が相当高い。

冷戦期のアメリカの認識では、フランス型かイギリス型かはさして問題とはならなかった。大切なことは、信頼できる同盟国の核は自国の戦略的利益である、ということだった。ここには、明らかにガロワ戦略の反響といったものが認められる。

(んじゃ、イラク戦争の時の国連の経緯からも、対フランス・中郷・ロシア策を宣伝して、イギリス型でさっさといっちゃえばいいじゃん)

六〇年代のフランスは、核技術の点では立ち後れていたが、ガロワ戦略の説得力ゆえに、最終的には、アメリカの技術供与を引き出すことにまで成功した。

(こんな、開戦早々に白旗揚げてドイツに占領されたくせに、戦勝国づらしてる国なんだからサ。いま、日本にとっちゃあチャンスじゃん)

ここがアングロ・サクソン気質の面白いことなのだが、アメリカは、

相手がはっきりと”作るぞ”という意気を示し、到底諦めさせることはできないと観念したなら、逆に手助けする側に回る外向的性向を持つ

"If you cannot beat them, join them"、やっつけられないのなら、いっそ仲間になってしまえ、という彼らの好む諺は、その辺りの機微を良くあらわしている。

もし日本が核を保有すると決めたとしても、そこには今日一般の日本人が想像する以上に、幾多の技術的ブレイクスルーが必要となろう。これは、そのときのために、記憶に留めておくべきエピソードなのである。

アメリカの核技術供与といえば、驚くべきことに、中国でさえそれを受けているのである。一九八〇年代、対ソ戦略上、中国はアメリカの準同盟国であった。中国の直面する技術的な隘路について、アメリカはヒントを与え、技術者の派遣さえ行っている

(ちょびっとだけだろけどネ。今の戦闘機だって「劣化品」だってぇし)

さらには九六年、CTBT採択の際、米国、ロシアが比較的容易にこれに名を連ねることができたのは、以降の核実験は基本的にシュミレーションで済ませられるという目算があったからだ。しかし、中国にはその技術がなく、当然、署名を渋る気配があった。

米、露両国はそれを知るや、シュミレーション技術の提供を持ちかけたのである

核持つ持たない、安全保障理事会の常任理事国か否かは、そんなに違うってことだな

台湾海峡でミサイル実験が行われ、米中の緊張が極度に高まりつつあったこの時期に、クリントン政権は、中国側に、核技術の一端を伝授する決定をした。ここに、我々の窺い知ることのできない、覇権国というものの特異な性格がよくあらわれている。


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