いうまでもなく、国際政治は、本質的に「力」と「国益」という基本要因を軸として展開される。

その上に二次的要因として、国際協調が、ときとして実現する場合があるに過ぎない


先の「エビアン・サミット」は、日本においては、米・欧の関係修復があり得るか、という関心で注目された。しかし、一国主義の広がる時代に、「両雄並び立たず」という常識に拠るなら、もとより安易な、”仲直り”などできるわけがなかったのである。

やはり、アメリカは「独仏の反乱」を決して許してはいないし、今後も緩そうとはするまい。ブッシュ大統領はイラク戦争の経緯を最大限に利用して、”古い欧州”を一層追いつめていく。そのことがはっきりした会議だったといえるのではないだろうか。 

米欧の亀裂はすでに決定的である。NATOやサミットが今後も持続しうるか否か、というような次元の問題ではない。たとえ武器を用いなくとも、お互いの生存をかけた米・欧間の大闘争が展開されることはもはや避けられないのである。

二十一世紀の相当長い期間、国際政治は

大西洋における米・欧(仏・独)の対峙、

東アジアにおける米・中の対峙、対決


を基本要因として展開されることになるだろう。

そしてそこで重要なアクターとして注目されるのは、ロシアである。数千発の戦略核爆弾を持ち、アメリカの全ての都市を一瞬のうちに灰燼に帰することのできるこの国は、歴史的に、大国としての矜持、独自の外交を展開しようとする強靱な意志を持ち続けている。

二十一世紀の日本にとって、このことの持つ意義は大きい

プーチン大統領が「エビアン・サミット」とほぼ時を同じくして、自らの出身地であるサンクトペテルブルグの建都三百年を祝う記念祭を盛大に行ったのは、大国復活への意欲を物語る一幕として、じつに象徴的だったといえる。

近代歴史学の始祖レオポルド・フォン・ランケは、自らの意志によってその未来を切り開くことのできる国々のみを指して「列強」と称した。

歴史の主体たる気概と力を持たない国は、いかに経済的に豊かであっても、決して彼のいう「列強」の列に数えることはできない

二十一世紀世界の「三極構造」

第一列=アメリカ
第二列=支那・仏・独....露
第三列=日・英

二十世紀後半の世界は、「先進国」と「発展途上国」の対比で語られることが多かった。経済的な成熟度を基準にした国家の分類だが、こうした発想は今後、急速に説得力を失っていくだろう。

極論すれば、経済力とは、国家がその基本要件を満たしてゆくうえでの二次的要因である。

”バック・トゥ・ザ・ベーシックの時代”にあって、より重要な要件を蔑ろにし、経済だけに特化した生き方を目指すような国は、不可避的に発言力と存在感を失っていくことになる。

「先進国」という語が忘れ去られていく一方で、重みを増すのは、ランケ的な意味合いにおける新しい「列強」のコンセプトと、その条件を満たした国ではなかろうか。

今回のサミットには、シラク大統領の議長国権限によって、中国が招かれた。江沢民はついにサミットに出席することがなかった。江が、あえて「先進国」「途上国」という古い世界観に立ち、自らを後者と位置づけたのは”国際平等”の理念的外観におもねり、同時に、さもしくも「経済援助」という実利をとる道を選んだからである。

しかし、新世代のリーダーである胡錦濤は、江とは違う世界観を抱いている。胡は、サミットへの出席によって、今後、「世界の主要国」としての地位を確保しようとする意志を明確にしたといえよう。

二十一世紀的な意味の「主要国」、すなわち新たな「列強」が形作られようとする現下の世界情勢のなか、アメリカも含め、各国はもはや建前としての理念をかなぐり捨て、本音の「基本要因」へと回帰しだしたのである。

そのなかでは、まずアメリカが「列強」の語を超越したいわば格別無比の存在であることは、改めて指摘するまでもない。

十九世紀、英国は「パックス・ブリタニカ」と称される世界覇権を唱えた。しかし、当時の英国でさえ、"Fitst among equals"、「同輩者の中の第一人者」と呼ばれるにとどまった。つまりナンバーワンの「列強」にとどまるものだった。今日のアメリカが持つ意味はそれとは明らかに違っている。第二列にひしめく文字通りの「列強」とは次元を異にしているのである。

真に「列強」たらんとする、中国、欧州(仏・独)、ロシアなどの各国は必死にアメリカとの差をつめようとする。他方、アメリカは、あらゆる機会をとらえ、抜きん出た自らの地位をより確固たるものにしようと図る。そして、両者のせめぎ合いを不安げな表情で見つめる、「第三列の島国」が東西にそれぞれ存在することになろう。すなわち、日本と英国である。

(あれ?梅棹→川勝へと発展した「楕円形」に、アメリカ大陸加えたようなもの、かな?)

まず、この「三極構造」が二十一世紀初頭の国際政治の特徴といってよい。そして、この二つのレベルの「力の格差」が、絡み合いながら事態が展開しつつあるのが現状といえよう。

政治の第一原則たる「身近な敵こそ、第一の敵」の命題により、日本と英国は、親米・反米の理念、感情とはかかわりなく、共にアメリカよりの基本姿勢をとらざるをえない。

(日VS.支那はその「原則」からも相容れないわけネ。
露助<ロシア語のことこう自称してるよネw>が北方四島と樺太南半分無条件返還なんてなことになったら、おもろいだろにナ。「ウラル以東は各種要件が異なる!」とか言ってサ)

二十一世紀初頭、おそらく二〇二〇年くらいまで、世界はこの三つの階層に別れた国々が様々に交錯しあいながら、基本的なベクトルを形作ることになる。

我々自身の安全保障政策は、浮上し始めたこの大きな世界秩序の構造を踏まえて発想されたものでなければならない。


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