日本李登輝友の会機関誌『日台共栄』第2号
(連載コラム「台湾と私」)の転載。

台湾の制憲運動
  
日本李登輝友の会常務理事
日本政策研究センター所長
   伊藤 哲夫

私が初めて台湾を訪れたのは、今から三十年ほど前のことであった。「反共国家・中華民国の視察」と銘打つ十数名の青年訪問団の一員だった。訪問先は台北だったが、当時はまだ戒厳令が布かれており、街のあちこちには歩哨が立っていたし、至る所に「光復大陸」などというスローガンが掲げられていたのを思い出す。そんななかで、いかに蒋介石総統が偉大で、真剣に反共に取り組んできたか、という話を行く先々で聞かされた。

むろん、台湾独立は当時全くの禁句であったし、(47年=日本国憲法施行年の)二・二八事件などという言葉も聞くこともなかった。独立派は危険な共産分子だという話を何かのついでに聞かされたような記憶さえある

当時の共産中国の現実については興味深い分析を沢山聞いたが、一方当の中華民国がやはり一党独裁国家であるという現実の方には、それほど問題意識を抱くこともなかった

(略)

それは外来政権によって台湾住民に課せられた軛であり、台湾独立とは、まさにこの「中華民国体制」からの独立に他ならない――と、その時初めて知らされたのだ。

「反共」はそうした体制の本質を隠すための覆いに他ならなかった、とも聞かされた。眼からウロコとはそのことで、自分が台湾という国の真実について永年全く何も知らなかったことに、この時初めて気づかされた。今から十数年前のことである。

それからは色々な読み物を読み、また台湾で始まった民主化の過程を実際に見、私の台湾認識は進むことになった。しかし、繰り返すようだが、それは何も知らないということがいかに恐ろしいことであり、また罪なことでもあるか、ということを私につくづく思い知らしめる苦く痛切な体験でもあった。

それまでの私にとって、台湾独立派の方々の多年にわたる命懸けの苦労も、またこの体制下での親日派の方々の戦後のいい知れぬ苦難の人生も、まさに全く存在しないにも等しい話であったからである。

ところで、その台湾で「新憲法制定」を求める「台湾制憲運動」がいま始まろうとしているという。リーダーはいうまでもなく李登輝前総統であり、中国人が作って台湾人に押し付けた現行の「中華民国憲法」をやめ、台湾人の手になる自前の憲法を作ろうというのである。

まさにこの「中華民国憲法」こそが先に指摘した「中華民国体制」の象徴(といっても、この憲法すら永年停止されていたのだが……)だと考えれば、そうした中国人支配の過去を完全清算するものこそ、この新憲法制定ということになるのだろう。

こんなニュースを眼にしつつ、私はわが戦後日本国家の現実を規定している「占領憲法体制」のことも併せて考えざるを得なかった。

台湾人から台湾人のアイデンティティーを奪っている「中華民国体制」が打破されるべきであるとするならば、

実はわが「占領憲法体制」も同じく打破されるべき桎梏である筈だからだ。

日本人でありながら、この「占領憲法体制」の問題性が未だに見えない人がいるが、実はかつての台湾に対する私と同様、それを見ないだけという話でもあろう。

これが見えれば、彼らが決然と新たな台湾の国づくりに向かうのと同じように、この人々も自らの進むべき真の道に気づく
筈なのだ。

中華民国から台湾へ――李登輝前総統を先頭にした「台湾制憲運動」の出発に満腔の敬意を表しつつ、一方、わが日本の変らぬ現状を思わざるを得ない今日この頃である。


そそそ、自国にかかわらない「連帯」ってのはちょいと胡散臭いな、とか思ってたわけですよぉ。

押し付け(否定させ)られた「憲法」=アイデンティティ否定。基準点喪失でアノミー(不連帯)常態。結果、右往左往の国家国民溶解の危機。

(野放図な権利偏重)憲法「改正」=自国(の歴史と伝統の)「回復」。

...さて、「回復すべき(本来の)自国(の制度と伝統)」とは?


否定されたんだから、一度また戻ってみましょ、てのがすぐ浮かぶネ。1889年製の憲法持ってたわな。アジア最初の憲法だね。(トルコのミドハド憲法がすぐ停止されたが制定は最初だとか言われているが)

大日本帝国憲法って、憲法体系書の最初のほうでやたら「全否定」してて、まともに解釈やら体系書を読んだこともなかったよなぁ。

3年くらい前かな、八木秀二(高崎経済大助教授、だったか)のPHP新書レベルで一冊読んだだけ、程度だもんな。あれって確か立法経緯とか物語的(感動的ではあるがエピソード集のよう)で、それなりには面白いんだがやはり「解釈学」としての本じゃないんだろしな。

★うぇ〜んw、お名前まちごうてました。八木「秀次」先生でござります。2004/11/26 google検索でてめぇの間違い気が付いたwので訂正。

理想としては、現行憲法だと「こんな不具合」が帰結するが、かつてのほうだとこういう具合に論理的かつ合理的に処理されてた、とか説得してもらえるとはなしは早いんだろけどネ。

占領中→主権制限中→無効→元に戻る、ってなことだけじゃあ、んじゃこの58年間は違法状態でしたんでっか?てなことになりかねんもんな。「実質的憲法」とかなんとか、「変遷」がどうたら言われてもねぇw。ま、それじゃあ子供の教育に、悪い見本だな。(違法)事実の経過・積重ねが規範に「成り上がる」、も基本法に関しては、ダメポでしょ。

やっぱ、「改正」だろな。その際のお手本が、己の先人作の「大日本帝国憲法」の「精神」だと。(相当くるしw)

とりあえずぅ、現状実写の賛成多数である9条2項カットだけでやって、その後突っ込んでけば、いいんでない?

だって、フランス革命史見直し(「主権」VS.統治権)とかアメリカ憲法の来歴とか、その前に米国憲法制定史のダイジェスト版だって(伊藤先生のは古くて高過ぎ)、満足に出てないじゃんw。ハミルトンのことなんかついこの間の中川先生の中公選書で初めて知ったんだけど...。世界史の参考書にだって初代ワシントン政府の財務長官、フェデラリスト総帥程度しか書いてないもんな。決闘で死んだのかな、それも40代後半だったか。Hamilton(1757-1804) で47歳か。

とにかく、材料がなさ過ぎ。ずっぽり「46年憲法」体制できちゃってるからサ。

だいたい、若手の「憲法学者」さえずっぽりで、何やってんだかw。どうも、「世界共通の憲法律」とか「その理論」が存在するんだてな大前提で、シコシコやってらっさるふしも垣間見えたりして...。

それ(GHQ民政局の若い素人諸君、19歳タイピストお嬢様もスターリン憲法の上っ面に勝手に感激して「勤労の義務」とか)やって、「蒸留水」=「人権集」寄せ集め=全部いいとこ集めたら結局なんもない=ほっと憲法、すなわち「46年憲法」だった、てなことだったんじゃあぁなかったんですかね。

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