支那製備長炭輸出禁止。先月の正論。
2004年9月28日(2007/08/30)
【正論】評論家・作家・麗澤大学教授 松本健一
「雲」をも奪い合う中国農業の現実
深刻な将来の食糧危機の予兆か
≪黄河をも“枯らす”水不足≫
中国の黄河に水がない、とわたしが本欄に書いたのは、いまからもう八年前のことである(一九九六年八月十七日付)。
当時はまだインターネットがそれほど普及していなかったので、北京近くを流れている黄河の状況は、南の揚子江沿いの上海あたりには伝わっていなかった。わたしがその直後に上海で講演(演題は「近代アジア精神史について」)した際には、その聴講者の一人であった上海の復旦大学教授から「松本さんは『中国の黄河に水がない』と書かれておられましたが、あれはどこから得た情報ですか?」と質問されたほどだった。
その教授は、日本の新聞を含めて外国の新聞は目にすることができるが、中国の他の地域の情報はあまり入ってこない、というのだった(その教授が目を通していた新聞の一つに「産経新聞」があったわけだろう)。
中国の黄河に水がない、つまり断流現象がおきていることは、とくに目新しい情報ではなかった。日本の新聞を見ていれば、どこにでも載っている情報だった。しかし、その情報から何の兆候を読み取り、それをどのような問題として認識するかは、情報の受け手のセンスなのである。
そこでわたしは、黄河の断流現象−河口から上流一千キロ、つまり北京近くまで水がないこと−は、日本の多くの新聞に報道されているもので、極秘情報というようなものではなく、ましてや宇宙衛星による特殊な偵察情報などでもありません、と答えたのだった。
ただこれは、その年の雨不足の結果なのではなくて、中国の「経済発展の一帰結にほかならない」という推論も述べた。「正論」欄のわたしの文章から引けばこうなる−。
一九七八年に中国農業が人民公社制から契約制に移ったため、猛烈な増産をするようになり、その結果、大量の水を消費するようになったこと。また、増産のため森林を伐採した結果、土砂が河に流れ込み、水路が次々に埋まってしまったこと。加えて、工業用水として、河川はもちろん地下水のくみ上げなどを行うようになったことによる、と。
≪穀物では既に純輸入国に≫
このような八年前の水資源問題、そうしてそれが農業(ひいては工業)にどういう問題をもたらしているかについて、たとえば最近評判が高いリーダー的な経済学者の樊綱(ファンガン)による『中国未完の経済政策』(岩波書店刊、関志雄訳)はどのように考えているかと思って、それを読んでみた。しかし、この問題については、何の言及もなされていなかった。
たしかに、その樊綱著には、中国の耕地面積は国土の七%にしかすぎず、そこに人口の五〇%以上が農業人口として依拠しており(国民総生産は二〇%)、それゆえ経済発展をより進めるためには、農業人口が一層都市部に転出し、製造業に従事すべきである、という方策が提示されていた。これで、「農民の死活問題は解決される」と。
なるほど、国家経済という全体的視点からみれば、これは一つの処方箋と考えることができる。しかし、中国がすでに穀物やタンパク質源の輸入国となっている現状からみれば、中国の農業問題の根本的解決策にはほど遠いような気がする。
これに対して樊綱は、中国の農業(食糧)問題は、「ロシアやブラジルのような面積が広く人口が少ない国」を食糧基地とすればよい、と考えているらしい。
ほんとうにそうだろうか。中国そして世界にとっての食糧問題(ひいては農業問題)は、もっと深刻に考えるべきなのではないだろうか。
≪人工雨めぐり非難合戦≫
そんなことを考えていたら七月半ばの新聞には次のような驚くべき記事(ロイター共同電)が載っていた。「水不足に悩む中国河南省の都市が『雲を盗んだ』として互いを非難し合っている」と。
河南省といえば、中国の穀倉地帯である。北京の南方にあたり、黄河の河口からまさしく一千キロ上流に位置する。そこで、ある都市−具体的に名は記されていない−が雲に「雨の素」になる物質を撃ち込んで人工降雨に成功した。すると、別の都市が「こっちにきたかもしれない雲なのに」といって非難している、というのだ。
中国では近年、人工降雨が盛んに行われているらしい。しかし、こういった「雲」をめぐる争いが、将来の食糧問題、農業問題の危機の兆候であることに、中国(および日本)の経済学者は気付くべきなのではないか。
木炭1トン製造するのに、材木が10トン居るんだってさ。
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