現場発:
米大リーグ マリナーズ・イチローに沸く米国人の心(その1)
◇強い者こそ価値がある

【オークランド國枝すみれ】米大リーグ・マリナーズのイチロー選手が、人々の思いを紡ぐ。シーズン最多安打という84年間破られなかった記録への挑戦。人種、信条を異にする米国人たちが、それぞれの思いで声援を送る。鮮やかなヒットでこの日も応えた30歳の日本人は、米国の人たちの心をとらえている。

気温15度。27日、ナイターで地元アスレチックス戦が行われたオークランドの球場は、試合途中で小雨が降り始めた。1万7200人の観客のほとんどが、アスレチックスファンだ。イチロー選手も打席に入る度にブーイングに迎えられたが、七回にシーズン252本目のヒットを打った時は称賛の拍手が沸いた。

熱中するのは、若い世代ばかりではない。

マリナーズの地元ワシントン州の農村から駆けつけたシド・マーシャルさん(59)とシェリーさん(57)夫妻。30年間、牧草をつくってきたが、4人の子どもは町へ出てアナウンサーや教師になった。後継者はいない。「潮時だ」と、年末に140ヘクタールの農地を売却して引退する決意をした。

やはりワシントン州からイチロー選手を追って移動するモナ・ビービィさんら53〜66歳の女性5人は、夫たちに留守を任せ、連日、球場で声をからす。野球のないシーズンオフのことを思うと、落ち込んでしまうという。

彼ら、彼女らが、イチロー選手に共感し、夢見るものは何か。

記録を持つジョージ・シスラー選手の孫、ボー・ドロケルマンさん(58)は27日、語った。「懸命に努力し結果を出せば、評価される。私たちが信じていたアメリカ本来の価値観が実現されているようだ」

記者は、日本人がメジャー記録を破ることについて、反発があるのではないかと思っていた。しかし、イチロー選手は愛されていた。米国人は、誰も日本人が記録を破ることを気にしていなかった。

大柄のメジャーリーガーの中で、きゃしゃに映るイチロー選手。打ったとき、球場全体に沸き上がるような歓声。

強い者が好き。強い者こそ価値がある。今の米国の空気が感じられた。

ビービィさんは言う。「毎回、驚かせてくれる。必ずエンターテインメントを提供してくれる」。米国人は、それがどれだけ大変なことであるかを知っている。

シスラー選手の記録は、第一次大戦直後の1920年。まだ大リーグが有色人種に門戸を閉ざしていた「白人リーグ」の時代だった。シスラーが死んだ年に生まれたイチロー選手が、今、記録にあと5本まで迫る。今年の開幕時、米国以外で生まれた選手はメジャーの27%を占めた。


現場発:
米大リーグ マリナーズ・イチローに沸く米国人の心(その2止)

◆夢を求めて、人は野球場に足を運ぶ。自らの日常、人生を、選手たちのプレーに重ね、心を揺さぶられる。

 ◇「イチローになりたいんだ」

大記録へ向けてひた走るイチロー選手(30)は、今、メジャーリーグの夢の主役だ。活躍に沸く客席に、さまざまな米国人の人生があった。26、27の両日、テキサス州アーリントンとカリフォルニア州オークランドの球場で、多くの観客と触れ合った。

いつの時代も、野球のスター選手は、少年の心をわしづかみにする。

ブラックストン・ピット君(10)は、初めて生で見るイチロー選手の一挙手一投足に目を凝らしていた。インターネットで買ったマリナーズの野球帽にシャツ姿。イチロー選手の背番号「51」が入ったグラブをはめていた。

打席でバットを持った腕を投手の方に真っすぐ伸ばすイチロー選手独特の仕草。米国でもまねる野球少年が増えている。ピット君もその一人だ。

「失敗しても、ピンチのときも、いつも冷静。すごくかっこいいよ。イチローみたいになりたいんだ」。大嫌いな算数の宿題でいらいらすると、壁に張ったイチロー選手の写真の前に行く。

「イチローだったらこんな時どうするかを考えて頭を冷やし、机に戻ってまた挑戦するんだ」

     ◇

しかし、大人たちの目には、子供たちとは別のイチロー像がある。そこには、今の米国社会の明と暗が、微妙に映っている。

共和党支持者の2人にスタンドで出会った。彼らがイチロー選手に見るのは、「強さ」だった。

オークランドの球場にいたグラント・タブチさん(37)は、日系4世。テコンドー道場を二つ持ち、週500人の生徒に武道を教える。「イチローは、アジア人は小さくて、弱いという印象を変えた」と思っている。

ブッシュ大統領の熱烈な支持者だ。「道場は、誰の力も借りずに発展させた。成功しなかった人間が他人の荷物になるべきではない。自分で努力しろ」と主張する。

ジェフ・ロビンさん(42)も、ブッシュ大統領の支持者だった。空軍除隊後、民間航空会社のパイロットになった。大統領は強さの象徴という。「同時多発テロ以降、米国には強い指導者が必要だ。米国人は強い人間が好きだ。だからみんなイチローが好きだ。その業界で最高の人間が好きなんだ」と言った。

     ◇

こうした強者信仰のような空気に、違和感を持つ人たちもいた。

サンフランシスコ市の大学生、ジニール・アンチェラさん(22)は、洋服デザイナーを目指している。「イチローは小さくてかわいい」。シアトルを訪ねたとき、欲しかったイチロー人形が売り切れていたため、仕方なく買ったマリナーズのTシャツの上にセーターを着込んでいた。

大統領選やイラク戦争は重要だとは思うが、遠い世界の出来事だ。「自分が民主党支持者か、共和党支持者なのかも分からない。カリフォルニアは自己主張が強いタイプがたくさんいて、私を強引に説得しようとするの。でも私は、自分がじっくり発酵するまで待ちたい」と話した。

     ◇

日本語で「イチロー」と書かれたTシャツ姿のギルバート・マルティネスさん(34)は、大学でメディア論を教えている。父はメキシコ系米国人、母が沖縄出身の日本人だ。イチロー選手のひたむきさが、好きだ。

空軍兵士の父は、沖縄で店員の母と出会った。95年、母と2人で沖縄を初めて訪ねた。終戦時4歳だった母は、それまで沖縄戦について多くを語らなかったが、この時、マルティネスさんをある丘に連れて行った。伯母が「米兵と日本兵の両方から、私たちが逃げて隠れた場所よ」と教えてくれた。母が胃がんで死んだのは、その年だった。

マルティネスさんは、今、テロ対策、戦争、安全保障がすべてに優先される米国社会の雰囲気に、危機感を覚える。11月の大統領選も気がかりだ。

歓声に沸く野球場。「イチローを誇りに思う」と話すマルティネスさんは、こう言った。

「母の気持ちが今、よく分かる。戦争は最後の手段であるべきだ」【國枝すみれ】

毎日新聞 2004年9月29日 東京朝刊


相当嘘臭いことも、さり気無く織り込んではいますけどサ。
「終戦時4歳がった」ひとが、「日本軍からも逃げていた」って?

そりゃ、「日米軍の戦闘」から逃げていた、んでしょ。

そもそも沖縄戦は、住民避難誘導を北にしなかった行政(知事は既に退去してた)にのみ責任があり、「戦闘従事のみが職責の軍」には何の落ち度もない、という意見がありますが。


ま、この程度は「思い込みありき」の毎日記者の素養の問題、てなことで斟酌してあげましょうねw。

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