■中山参与辞任 
「対北推進」山崎氏官邸入り “役割”困難と判断

北朝鮮による拉致被害者支援を担当してきた中山恭子内閣官房参与が二十九日、首相官邸で小泉純一郎首相、細田博之官房長官に辞意を伝え、了承された。中山氏はソフトな物腰とは裏腹にタフ・ネゴシエーターとして北朝鮮に対峙(たいじ)、被害者や家族の信望も厚かっただけに、突然の辞任は大きな波紋を広げている

(波紋を広げるどころか、小鼠政権命取りだわ)

「与えられた任務はだいぶ前に終わっていたと思う」。中山氏はこの日記者団にこう語った。周辺には「私の役割は政府と被害者家族とのパイプを作ること。これは去年の春ごろには終わっていた」と漏らしている。

しかし、実際には中山氏はそれ以上の役割を果たし、北朝鮮への政府対応に大きな影響を及ぼしてきた。

その中山氏が辞任を決意したきっかけは、内閣改造で山崎拓前自民党副総裁と川口順子前外相が首相補佐官に起用されたことにある

今年四月、中国・大連で北朝鮮当局者と接触して被害者家族らから「二元外交」との批判を浴びた山崎氏や、川口氏が日朝交渉に意欲を示していることから、拉致被害者を「救う会」幹部は「これまでの役割を果たす見込みがなくなったと判断したのだろう」と推測する。首相はこの日、中山氏を慰留しようとはしなかった。

(ヤマタフ、ボン子なんて、対北のど素人以下、だろ)

「北朝鮮への経済制裁という選択肢を排除すべきではない」との中山氏の主張に、官邸側(飯嶋勲だろ)が「不快感を示すようになった」(政府関係者)。

辞任は北朝鮮の思うつぼというより、官邸が北朝鮮のいいなりになっているのでは」(別の政府関係者)との見方すらある。

(さぁて、明日からの動きがたいへんなことになるかもな)

自民党の安倍晋三幹事長代理(!)は二十九日、記者団に「まだ十人の安否確認もあるし、日朝交渉をどういう姿勢で進めていくかという問題もある」と述べ、中山氏の辞任を惜しんだ

中山氏は、首相が最初の訪朝を行った平成十四年九月、福田康夫官房長官(当時)に請われて参与に就任。翌十月に被害者五人が帰国した際、五人をいったん北朝鮮に戻すことを主張した外務省の田中均外務審議官に「そんなのは交渉とは言いません」と突っぱね、永住帰国に道を開いた

昨年の統一地方選では、中山氏の「私以上に被害者家族寄り」(安倍氏)の姿勢や、外務省の方針に公然と異を唱えるやり方を煙たがった政府高官が群馬県知事選出馬を打診したが、断って参与にとどまっていた。

対北朝鮮「強硬派」として存在感を示してきた中山氏が表舞台を去ることで、拉致事件が“中ぶらりん”にされたまま、首相が日朝国交正常化を加速させる可能性もある。

(阿比留瑠比、田北真樹子)(09/30)

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