(産経新聞)
■【主張】中山参与辞任 日朝国交正常化は慎重に
拉致被害者と家族の支援にあたってきた中山恭子内閣官房参与が辞任した。北朝鮮に対して強い姿勢で臨んできた数少ない幹部が官邸を去るのは、誠に残念である。
中山氏が内閣官房参与に就任したのは、金正日総書記が拉致を認めて謝罪した一昨年九月の日朝首脳会談の直後だ。常に被害者や家族の立場に立って発言し、行動してきた。
(「数少ない」「立場に立って」。いかに異常だったかがわかる)
蓮池薫さんら五人の被害者が帰国した一昨年十月、中山氏は五人をいったん北に戻すべきだとする田中均外務審議官らの意見を抑え、五人の永住帰国が実現した。今夏、曽我ひとみさんと夫のジェンキンス氏ら父子との再会場所をめぐっても、中山氏は北朝鮮に近い北京での再会を恐れる曽我さんの意向を尊重し、一家はインドネシアでの再会と日本への帰国を果たした。
官邸や外務省はこれからも、家族重視の姿勢を崩してはなるまい。
中山氏の辞任により、小泉純一郎内閣が北朝鮮との国交正常化に前のめりにならないかという不安が残る。
小泉首相は今夏の参院選で、一、二年以内の日朝国交正常化に意欲を示した。九月の内閣改造でも、北朝鮮とパイプを持つ山崎拓前自民党副総裁と首相の意を受けた川口順子前外相が首相補佐官に起用された。国交正常化に向けた布陣ともみられる。
これに対し、中山氏は「北朝鮮への経済制裁という選択肢を排除すべきでない」と主張し、早期国交正常化論へのブレーキ役を果たしてきたが、最近は、官邸で孤立感を深めていたともいわれる。
中山氏は、北から名指しで非難された三人の幹部の一人だ。その意見を封じ込めようという動きが首相周辺にあったとすれば、危険である。
日朝国交正常化は、戦後処理の中で残された最大の外交案件とされる。昭和四十(一九六五)年の日韓国交正常化(有償、無償合わせて五億ドルの経済協力)を踏まえ、北は現在の価値で百億ドル(一兆一千億円)の経済協力を非公式に要求しているともいわれる。協力方式によっては、ゼネコンや一部政治家の利権につながりかねない。
北への圧力を強調した中山氏が官邸にいなくなったからといっても、国民の厳しい目は光っている。拉致事件の全面解決と核、ミサイルの完全廃棄が先決である。
(クライン孝子の日記)
■2004/10/01 (金) 中山さん、今後も個人の資格で支援するって
今、朝日ネットをクリックしたら、中山恭子参与が<「個人の資格で支援続ける」 参与辞任の中山氏強調中山氏は辞任後、記者団に「ポストはなくなるが、いろんなご相談をしたり、それを(政府に)つないだりする役割は個人の資格でずっと続けていきたい」>と今後も拉致被害者支援に取り組む考えを強調されたって。
しかも誰も傷つけないように<中山氏は「家族が政府を信頼し、(支援態勢が)動き出したで任務は終わった。どこかで(辞めよう)と思い始めたのは昨年春でした」と語り、山崎拓・前自民党副総裁や川口前外相の首相補佐官就任や夫の成彬氏の入閣が辞任を決断させたとの見方については「考えを決めたのは、その前だ」>と否定なさったという。
私が中山さんと初めてお会いしたのはフランクフルトでした。
(あの時はジュネーブから日本帰国の途で、横田早紀江さん、拓也くん、有本さん、飯塚氏、斎木さん、その他の方々もご一緒でした)あれ以来何度も東京では、中山さん、斎木審議官と三人、
外国人特派員協会で会食しました。
とにかく慈母みたいな方で、家族会から全信頼を受けておられることがじかに伝わったものです。
辞任されて残念ですが、きっと、実力を充分に備えておられる素敵な中山さんですから、家族会のために政府との間で橋渡し役をなさるものと思います。
(略)
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