いちおう滑稽節、もとい「国慶節」なので。
2004年10月1日(極東ブログ by finalvent 2003/10/10の記事)
(略)
台北駐日経済文化代表處のホームページを見ると「双十国慶記念日」とあった。そういう表記もなるほどねとは思う。
他では中共に配慮して双十国慶節として際だたせる表記もある(雙十節というのは10月10日だから)。でも、国慶節の本義を考えれば単に国慶節でもいいだろう。
今年は(注:2003年)中華民国建国九十二周年になる。常識なので言うも恥ずかしいがインターネット馬鹿曠野に戸惑うこともあるので書くと、民国建国は1912年、つまり大正元年と同じだ。今年は大正92年なのである。
大正年を思えば明治は遠くなりにけりともいえるが、祖父母が明治年の生まれであることを思えば、民国成立の時代はそう遠いものでもない。夏目漱石の「心」にもまだ共感できる。
現代が始まった時代だともいえる。
1914年に第一次大戦が終わり、1917年に脳天気なレーニンの勘違いで始まったクーデターがひょんなことでロシア革命になった。
民国成立について台北駐日経済文化代表處のページには、86年の李登輝の祝辞も残っていた(参照)。ちと長いが国慶節というものの説明のために引用させてもらう。
およそ一世紀前、孫中山先生は中華民国創建のため民主・自由・ 均富による発展の青写真を打ち出しました。爾来八十六年間、 わが中華民国は波濤逆巻く歴史の奔流のなかにおいて、幾度も挫折に 遭遇してまいりましたが、最後において確たる不動の立場を打ち立てることは、 民主に対する強い精神の具現であり、また歴史に対する責任でもあります。 今日ここに、われわれは誇りを持って台湾・澎湖・金門・馬祖地区における 中華民国は、すでに孫中山先生の理想を実現し、政治の民主化、社会の開放、 経済の繁栄、民生の充実といった輝かしい成果をあげ、中華民族の新たな歴史の一頁を開いたと言うことができます。
精神を継承するところに歴史的意義があり、引き続き開拓して行くところに 歴史的価値があります。われわれが獲得したすべての成果は、 無数の先覚諸烈士の犠牲的努力のたまものであり、基礎が築かれたから であります。われわれは国家発展の新たな高峰を築いた今日、 さらに努力をつづけ、民主と自由の理念を堅持し、次世代のためにさらに 安全でさらに安定し、さらに尊厳ある環境を構築し、二十一世紀の激しい 競争のなかにおける新たな挑戦を克服し、新たな局面を開拓して 行かねばなりません。
台湾独立を明言できるようになった現在の李登輝を思えば皮肉な感じもする。また、孫文についても歴史研究が進むにつれ、虚飾がはがれていく。それでも今でも「中華民族の新たな歴史の一頁」とは民主化を意味すると考えて大過はない。
ただ、「中華民族」の民主化とは、偽装された皇帝世界から各民族を解放することではなくてはならない。台湾が台湾となり、チベットがチベットなること。
だが、そういう理想は、現代という新しい流れのなかで次第に色あせているのも現実だ。台湾は台湾になれず、チベットがチベットになることはない。ダライラマがポータラカに戻るとき実はチベットは終わっている。
(ちょいと意味不明...)
中共が出す民族地図を見て満人という区分がないことに呆れたことがあるが、しかし、それが新しい現代でもある。
(略)
今日10月1日は、新幹線開業40周年記念日だそうです。
1964(昭和39)年10月1日、夢の趙特急「ひかり1号」発車。はるかに目出度い記念日です。
そして同年10月10日は、東京オリンピック開会式。
まためでたい記念日ですね。そして、世界史的?にも、本題の事項事実の惹起した日付としてよりは、はるかに有意義な記念美wだと思いますがネ。
体育の日は、元に戻したほうがいいですね。
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