「結果」も「道理」を通して獲得するんだ。それが先祖伝来日本流
2004年10月13日(多事X論)
■平成16年10月12日(火)拉致問題〜あれっ テロに屈しないんじゃなかったの?〜
10/7付コラム『拉致問題〜政治は結果が全てか?〜』について様々な反響があり、『これを思っていて文章にならなかった。すっとした』、『久しぶりに胸のすくような、格調高いさわやかな文章に接しました』『心の支えにする』『名言だ 』等々の声がある一方で、『こんな当たり前の事に反対するとは何事か』との声もあるようなのだが、この後者の論調はほんとふるっている。
一般論として『政治は結果が全て』が正論である事ぐらい百も承知なのだが、世の中には道理というものであって絶対に踏み外してはいけない一線はある。
今回の事例でいけば、『テロに屈してはいけない』、『テロリストに見返りを与えてはいけない』、『テロリストと交渉してはいけない』は内外を問わず社会の不文律ではないか。(ちなみに、交渉と話合いは違う)
然るに、小泉・平沢はこの不文律で超えたのであり、こんな事は絶対に容認されてよい訳がない。(文明国家のプライドを捨てるのなら話は別だが・・・)
現に4月にイラクで発生した邦人人質事件ではテロリストが自衛隊の撤退を要求してきたが、この時の世論はどうだった?
自衛隊の撤退を真顔で主張したのは左翼の一部だけで、国内世論は『テロに屈してはならない』、『ダッカ事件の轍を踏むな』との論調で一致していたではないか。
それからものの一ケ月しか経っていないのに、今度は『政治は結果が全てです』とは完全な二枚舌であり、このような論者は確信犯的詐欺師だろう。
それから、前回は指摘しなかったが、『結果』、『結果』と言う前に、政治家にとって最も大切な事は『有言実行』ではないか。
政治家なり政党は国民に向け公約を提示し、有権者はその公約を見て一番まともそうな候補者を信任し投票し、当選した政治家は自らの掲げた国民への約束を忠実に実行する・・・。
このサイクルこそが健全なる政治体制であり、これが狂うと政治不信が増大する。
翻って、小泉は国民に何を約束した?
『テロと戦う』、『奴隷の平和は選択しない』、『拉致問題の解決なくして国交正常化はありえない』だろうに。
この約束と、あの5.22日朝会談の結果が全く正反対であることは子供でも理解できそうなものだが、いい大人がここを理解できないとはほんと救いようがない。(多分解らないフリをしてるんだろうね)
北朝鮮外交以外にも、靖国神社参拝、構造改革等々小泉の言行不一致は枚挙にいとまがないが、この言行不一致を指摘せず(できず)に『政治は結果が全てだ』などと真顔で言ってる論者はよほどの脳天気か、何か悪意があるかのどちらかだ。
このような論者が有権者に多数存在するようでは、政治家の公約など有名無実化し、日本の政治は100年経っても改善しない。(現に今の政治状況がそうだろう)
『政治家は国民の鏡』などと言われるが、まさに愚民が愚劣な首相を下支えしているのであって、この暗愚の相関関係を切り崩す事が今最も急務である。
まったく、その、とおり。
付け加えること、なしw
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