(6)
元凶はやはり東京裁判史観
参政権付与推進派を類別すれば、まずは、
(1)都市部に多い在日外国人票をあてこむ党や議員の「票目当て派」だろう。実際、在日外国人団体の新年会などでは、党派を問わず、来賓の議員が挨拶のなかで法案成立を約束し、媚びへつらう姿がみられる。次に、
(2)賛成のほうがリベラルにみえてマスコミの受けもいいと思い込む無定見な「マスコミ迎合派」。そして例によって、
(3)「自虐・贖罪派」である。
「植民地支配の対象であった朝鮮半島出身者に、選挙権くらい(w)与えなければ申しわけない」というわけだ。
(まとめて、一回あの世に行って先人先達に説教されておいでw)
とんでもない論理の飛躍だが、彼らの脳裏にひとたび贖罪意識が頭をもたげるや、主権国家としての国益もなにもすっ飛んでしまうのである。
(自分探しの成れの果て、かもなw)
拉致問題などで昨今は変化があるだろうが、敗戦後特有の「国家観が希薄で国際政治の厳しい現実にうとい」わが国・官民の体質は、まだ改まっていない。その元凶は、やはり東京裁判史観ということになるだろう。
弱肉強食、植民地主義が当然であった帝国主義の時代という歴史的背景。欧米列強が全アジアを支配しているなかで、自らも富国強兵の道を歩むしか生きる術のなかった日本の立場。あるいは、
先の大戦勃発時の国際的な政治・経済情況……それら一切を無視して、勝者が敗者・日本を一方的に断罪し、日本人に国家否定の観念を植え付けた政治ショー「東京裁判」の呪縛から、この国はまだ解かれていないのである。
(つまり、ネが単純・善悪二元論どまりってこと)
英国のチャールズ皇太子は、香港を中国に返還する際のセレモニーで、「成功をおさめた香港に責任を持ち、その枠組みを提供したことに、英国は誇りを感じる」と、一寒村を世界的経済センターに発展させた大英帝国の功績を(いえkしゃぁしゃあとw)誇るスピーチを行い、植民地支配の反省の弁など(「年増狂いのマザコン」さえ、歴史は「現代人が当事者たりえない」とわきまえちょるから)一言も述べずに、英王室所用船ブリタニア号で颯爽と去って行った。
「英帝国主義」を歴史のひとコマと割り切ると同時に、当時の国際社会では違法でなかった植民地主義を、今日あえて詫びれば、中国に対し政治的得点を与えることになるからだ。
また中国側の江沢民主席のスピーチにも、「英帝国主義」を批判するくだりは一切なかった。それが国際政治というものである。
(双方自分の得点にならんことは、言わない、のよんw)
それに比べたら、「インフラ整備や教育制度など朝鮮半島近代化に多大な貢献をした」と誇ることなく、あるいはかつて日本帝国主義の被害を受けたという中国や北朝鮮、韓国などの近隣諸国が、強弱所を変えて、今では軍事的にも領土問題などでも日本への攻勢を強めていることに目をつぶり、ひたすら過去に対する自責の念で自らをさいなむ一部日本人の姿は、もはや間抜けを通り越している。
彼らが個人的に自虐のヨロコビに浸るのは勝手だが、挙句の果てに、国家の主権や安全も顧みず参政権を付与しようとすることは、拉致や竹島占領を許せないことと同様に、次世代のためにも絶対に容認できない。
(出でよ、アサ・シン、暮世臣ちゃんw、ってか)
日本国の国籍を取得し、母国の義務や権利を放棄せよ。
(もう、「特殊集団=在丁」【だけ】は、要件厳しくせにゃあかんゼ。だって、手段を選ばん連中のようだからサ)
それが参政権付与の(「大」、ネ)前提である。
【略歴】
米田建三氏 昭和二十二年(一九四七年)、長野県で生まれる。横浜市立大学商学部卒。徳間書店に入る。代議士秘書、横浜市議を経て平成五年の衆議院選挙で初当選。当選三回。同十四年十月、小泉改造内閣で内閣府副大臣をつとめた。拉致問題にも精力的に取り組んできた。同十六年一月から現職。
「正論」平成16年4月号
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