(クライン孝子の日記)
(略)
さて、ある方から、阪神淡路大震災当時を思い出されたメールをご紹介致します。
<新潟地震現場からの報告を読ませて頂き、阪神淡路大震災の時のことを思い返しています。
1月17日の突然の激震は、もう死ぬと思いましたし、「最後の審判」がきたかとも思いました。あの時の体に受けた激震は、体の深いところに今も潜在しているので強い地震が来ると、甦って来るのです。
17日以後の余震は何度もあり、その都度外に飛び出したりしましたが、今回の新潟のように震度5とか6とか強いものが何度も襲ってくるというようなことはありませんでした。
新潟の被災地の避難されている方々の恐怖感は阪神淡路以上であると思われます。
強い余震があまりに続くようであれば政府は、被災地からの住民の一時的脱出を考えないといかんと思います。精神的ストレスにも限界があります。
特にお年寄りや体の悪い人、赤ちゃんや子供達は、二次的な人的被害を受けることになってしまいます。とにかく揺れない所で過ごせるようにしなくては、現地支援だけでは不十分です。揺れがなくなってからでないとライフラインの復旧は難しいと思います。
阪神淡路の時と状態が違うので現地の状況にあった支援を計画しないといかんと思います。
海外にわけのわからない大金を浪費するより国民の生命を守る為に金を使うべきです。
各地の厚生年金施設や国民宿舎、保養所等、ホテルでもとにかく金を出してでも部屋を確保して対応すべきです。
それからメディアの伝え方については私も大変に不満です。
阪神淡路大震災の時も、新潟の方がおっしゃるとおり「『珍しいものを見せる』んじゃなくて『何が要るか』を伝えないかんやろ」とテレビに怒鳴りましたよ。
命が助かることはわかっているが助け出すのに時間かかる作業の現場中継映像を延々と流しつづける各社マスコミ。これは、神戸市東灘区のビルでした。要は出てくる瞬間の映像が欲しいだけなんだと思いました。そんな映像は、被災地の人たちには、必要がないのです。
新潟の方が仰る通り、どこで水や食べ物が手に入るのか。病人の対処はどうするのか。救援物資はどこへ行けば手に入るのか。被災地の人の役に立つ情報を流すべきなのにカメラは絵になるところに飛んでいくのです。
神戸でも燃えている町とか、崩れたビルとか被災地の人にはそんな映像は必要ないのです。自分達の周りが既にそういう状況なのですから、・・マスコミの映像は被災以外の人たちのための映像でしかないのです。
その典型がヘリコプターによる被災地の映像です。余震で家が揺れて瓦が落ちかけているところなどもあり、まだまだ危険なのに低空でヘリが飛ぶと、風圧で家が揺れ、瓦が落ちるのです。余震と区別がつかぬほど家が揺れるのです。私は、家の中から何度も飛び出しました。そして、低空で飛ぶなと叫びましたがむろん無駄な行為ですよね。
落ちた瓦で怪我した人は、やられ損で、マスコミに損害賠償もできません。それくらい腹が立ったということのなのです。
聞いたところによると、自衛隊機は飛行区域や高度規制があり通常住宅地の上を飛べないことになっているとのことで、神戸では、緊急事態で特別に飛行して救援基地を作ったということです。
たしかに阪神間でも低空で何処にでも飛びかっていたのはマスコミのヘリコプターでした。マスコミは特にテレビは絵を追いかけるので被災者にとっては不愉快です。映像という武器があるのですから、被災者に向けてリアルタイムに情報発信するほうに力を注ぐべきです。
役場とか震災対策事務所にカメラをいれて住民が必要としている情報や対策本部が伝えたい情報を各社で役割分担をしてでも、流していくべきです。
またまた、つい昔を思い出して書いてしまいました。書き出したら止まらなくなるので失礼します >
まったく教訓になってねぇな。
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