言い尽くされていることだが。もう方法論の問題(無効宣言)に移っていると思う。
2004年10月27日
京都大学名誉教授
勝田吉太郎
(二)日本国憲法の偽善と欺瞞
(略)
米占領軍当局がわずか一週間ほどで作成して日本政府に手渡した憲法草案を審議していた当時のこと、(まだ残存していた)貴族院の席上、有名な刑法学者牧野英一博士はこう語った(一九四六年八月二十七日の貴族院本会議)――「憲法は国民の経典、教科書である」と。これに対して答弁に当たった金森国務相も「憲法は単に法律的な面のみか、多くの政治的空気を周りに持っていて、国民に多大の心理作用を及ぼす文書です」と。
その通りである。だからこそ戦争の放棄と、軍備及び交戦権の否認を定めた第九条――「(一)……国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。(二)前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」、さらに平和の尊さを美辞麗句をもってくどいほど説いた「憲法前文」の文言のおかげで、政治家も国民もマスコミも、国家存立の根本に頬かぶりして通り、長い間、防衛問題をまるで“臭いものに蓋をする”ように扱うようになった。一九五〇年の朝鮮戦争の勃発により、マッカーサーの命令で急遽「警察予備隊」が発足した。やがてそれは「自衛隊」と改称して今日に及んでいる。長期間、自衛隊はまるで私生児のように扱われ、自衛隊員は各地の“進歩的集団”によって税金泥棒のように見なされてきた。
小泉内閣の登場以来、やっと偽善的な風潮を改めようという機運が生じてきた。それというのも近時日本列島を取り巻く国際環境が厳しくなってきたからである。げんに憲法改正を求める世論は、どの新聞・マスコミ各社の調査によっても、ほぼ八〇%に達するようになっている。従って、もしも小泉内閣が掲げる「聖域なき構造改革」路線が本物であるなら、当然「平和憲法」にもメスを入れる必要があろう。
(略)
社会党の有力議員、鈴木義男氏は六月二十七日の衆議院本会議の席上、「憲法前文」を皮肉たっぷりにこう論評した。
――「まるで『源氏物語の法律版』のように切れるかと思へば続き、泣くが如く、訴ふるが如く……これ果して経国の大文字と言ふことができようか。」
さらに鈴木氏は、当時「非武装中立」を説いていた日本自由党の北_吉氏を鋭く批判する。
「……永世局外中立は……前世紀の存在であり、今日は世界各国団結の力によって安全保障の途を得る外ない。」
これを見ても分かるように、社会党の議員の方が保守的な議員よりも遙かに国家防衛の問題を誠実に論じていたといえよう。当時の社会党は後年のそれと異なり、「非武装中立」の夢想を排していたのだ。
他方、六月二十八日の衆議院本会議の席上、日本共産党の野坂参三議員は、およそ戦争には「二通り」のものがあると論じた。一は「不正の戦争(侵略戦争)」、二は「正しい戦争(自衛戦争)」である。さらに野坂氏はこう続ける。
「戦争一般の放棄と云ふ形ではなしに、我々はこれを侵略戦争の放棄が……もっと的確ではないか。」こういう言葉をもって、野坂氏は第九条を批判した。
無論「正しい戦争」「不正な戦争」とは、共産党独特のイデオロギー的視点からなる区別であろう。しかし、戦争一般の放棄を規定する第九条への批判として、彼の問いかけは核心を突いているところがあるといってよい。
(略)
当時は野党の指導者よりも、むしろ権力の座にある為政者の方が“空想的平和主義”に毒されていたと評されても仕方あるまい。
だが、やがて幾星霜を経て舞台は一回転する。攻守ところを変えるに至るのである。
かつては防衛の問題について、それなりの現実主義的思考を披瀝していた社共両党の理論家たちは完璧な“夢想家”へと姿を変え、他方でかつての“空想的平和論者”たちが “現実派”になり、国際政治の厳しい現実に合わせて“平和憲法”の文言を三百代言式に、ないし詭弁を弄して解釈するようになっていく。
付言するなら、憲法制定時における鈴木氏や野坂氏のような政治家のみならず、それなりに現実的な防衛論を展開していた南原繁教授(のちの東京大学総長)のような政治学者まで、態度を変えて“マスコミ世論”に歩調を合わせ “進歩的文化人”となって登場し、新聞マスコミの舞台で空想的平和主義の使徒のように振舞うようになる。
(略)
“進歩陣営”のふりまく美辞麗句や、偽善の臭いを発する言辞の多くは、実のところ“現実派外交官”たる吉田茂氏からその手口を学習したものなのだ。換言すると、
日本流のホンネとタテマエの使い分けの“戦後家元”は、吉田茂の保守党政府であった。他方、左翼陣営と進歩的文化人たちの多くは、“吉田流家元”の優秀な “名取り”つまり“弟子”だったと言ってよいであろう。
最後に一言しよう。私は吉田茂首相を“現実派外交官”と評してきた。しかしながら彼の“現実主義”には、戦後一貫して国家存立の根本に関する厳しい認識がどこか欠落していたように思われてならないのだ。
(略)
げんにその当時、鳩山一郎や芦田均氏らに代表される政治家たちは、熱心に自主憲法の制定を主張していた。
だが、政権の座にあった吉田茂首相はこの道を選択しなかった。むしろ彼は“現実派外交官”の手腕を発揮して、講和条約と同時に米国との間に「日米安保条約」を結び、日本防衛の責務を米国に負わせた。
以来、吉田政権と吉田茂門下の歴代内閣の首相たちは、“平和憲法”という名の“占領憲法”を逆手に取り、米国の再三にわたる再軍備要求を巧みに退ける一方、経済力の増強に努力した。その結果、軽武装と経済第一主義の政策が成功し、七〇年代にいたって堂々たる世界の技術・経済大国へと成長した。
要するに、わが国は、米占領軍がハーグ陸戦法規慣例条約四十三条を無視して強い圧力を行使することで制定させた憲法を楯にし、長い間“安保タダ乗り”と批評されるような“平和外交”を行ってきた。
とはいえ、二十一世紀に入るや、従来のような“安保タダ乗り”政策はもはや許されなくなった。それほどまでに日本を取り巻く環境が厳しさを増す一方、「世界の警察官」を演じてきた米国の国力も頂点を過ぎて漸次下降するようになったからであろう。
日本は湾岸戦争の際に一三〇億ドルに及ぶ巨額の軍事費を寄与した。だが金を支払うだけでは充分ではない。「戦場に日本の国旗を示す」ようにと米国はアーミテージ国務副長官の口を通して要求した。小泉政権はその要求に従って自衛隊をイラクに派遣した。
ごく最近(二〇〇四年七月二十一日)、アーミテージ国務副長官は自民党の有力議員(国会対策委員長中川秀直氏)に対して憲法改正の喫緊性を語っている。つまり、アーミテージ氏は「私見」と断りながら、
第一に日本が国連の安保常任理事国となるには、国際社会のために軍事力を展開しなければならないことがある。
第二に、憲法第九条は日米同盟の妨げの一つになっている、
と述べた。日本の弱点がどこにあるかを、米国は明瞭に見抜いているのである。
日米安保条約を実のあるものにし、日米同盟を強化するために、今や憲法改正は必要不可欠とみなされるようになっているのである。同時に、憲法の自主的改正こそは、戦後に長く続いた偽善と欺瞞の風潮を矯正するための最も重要な「政治倫理の確立」の企図だといってよいであろう。
まとめてやろうとしてもへんなものしかできそうもないから、9条2項削除だけでいいよ。
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