【論説】日台両国の改憲論に寄せて(三)

京都大学名誉教授
勝田吉太郎

(略)

欧米で「憲法」を意味する語【Constitution】や【Verfassung】は、元来「体格」や「体質」、さらに「気質」や「気分」などを意味する。

より適切に言うなら、「憲法」は同時に、国民の体質や気質、むしろ「国柄」といったものと不可分に関係しよう。伝統的な文化なり、国柄なりに合致する憲法であってはじめて自分の憲法、「自主憲法」といえる
のであろう。

そう考えるなら、自主憲法の制定とは、まさしく自国のアイデンティティの確認作業に他ならない。自分自身の証を求めようとする心性と気概、それが憲法改正を進める推進力であり、同時に、上述したように「国益」と言われるものの中核に、そうした旺盛な精神力が、私の恩師・瀧川先生の言われた「精神の背骨」が貫かれていなければならない、と思うのである。

このような意味において、主権者たる台湾の人民が自分の憲法を民主的・自主的に制定すること、それはまさしく国際人権規約に謳われた人民の自決権の行使に他ならない、と言わねばならない。



須多因氏ことシュタイン先生の歴史法学の解説を聞いて、「もう死地を得たようだ」と伊藤博文は言った(山縣有朋への手紙に書いた)んだっけ?

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