単なる「風習・風俗」か、それとも...
2004年10月31日(毎日新聞)
■首里城:琉球国王の即位式を初めて再現 沖縄
那覇市の首里城正殿前で30日、琉球国王の即位式「冊封(さっぽう)儀式」が初めて再現された。観光客ら約2000人は、中国との関係が深かった琉球王朝時代の厳かな儀式に見入った。
中国皇帝名で琉球国王を任命する琉球王朝最大の儀式で、1404年から1866年まで、基本的に国王が交代する度に25回行われた。
最初の冊封から600年を記念して、初めて再現した。
中国からの留学生や地域住民ら65人が当時の衣装を身につけ、約1時間にわたって演じた。
使者役が中国語で
「琉球国王として任命する。なお一層、国を治め、忠誠を示すように」と皇帝の書を読み上げると、
国王役は最上級の拝礼(三跪九叩頭礼w)。中国と琉球の音楽も演奏され、儀式を盛り上げた。
【中村宰和】
毎日新聞 2004年10月30日 19時40分
わが沖縄県民よ 忘恩の民になるのか
「産経新聞」平成9年(1997年)4月21日付「問題提起」
評論家 恵隆之介
米空軍嘉手納弾薬庫構内には、明治三十八年建立の「植樟(しょくしょう)之碑」が米軍によって丁重に管理されている。
ここには戦前、久得(くどく)といわれる村落があった。当時、沖縄は大干ばつに見まわれた。明治天皇はこの窮状を聞かれ、さっそく侍従を沖縄に派遣された。現地を視察した侍従の発案により、涵養林として樟(くすのき)がこの一帯に植樹された。
【琉球王朝の圧政】が、未だ忘れられない沖縄農民にとって、天皇の温情は強い感動を呼んだ。そして、村民の発議によって、この碑が建てられたのである。
【琉球王朝は農民の土地所有を一切認めず、村落ごとに課税】し、しかも一定年限をもって耕作地を村落ごとに交代させてた。その結果、農民の生産意欲はことごとく減退し、農家の疲弊は極度に達していたという。
昭和四十七年の本土復帰を、県民は長い間、真剣に熱望していた。わが国の統治権から分離されることが、いかに不安なものかを身をもって体験していたからである。
(略)
ところが、わが国が主権を回復した後も沖縄出身者は復帰までの間、政府の保護が受けられなかった。
そうした中で、復帰前、甲子園に出場した地元高校生が甲子園の土、というよりも祖国の土を袋に入れて持ち帰るという光景は全国民の胸を打った。「沖縄戦で本土の防波堤となり、しかも戦後は米軍政下にある沖縄県民に申し訳ない」という共通の思いがあったからだ。
ところが本土復帰が実現するや、沖縄県民は反国家的は発言をするようになったのである。
六十二年十月二十六日、沖縄国体で地元青年が日の丸を引きずり下ろし、ライターで火をつけた事件は全国民に衝撃を与えた。
(ふつうこういう行動パターンが考えられないのよ。チョンかチュンかとしかw)
戦前、沖縄文学の祖といわれた伊波普猷(いは・ふゆう)氏は、その著「古琉球」において、沖縄人の最大の欠点は恩を忘れやすいことだとして、事大主義的な性格を痛烈に批判している。
先日、沖縄復帰のさいの県知事、屋良朝苗氏が逝去した。私は屋良氏の功績を否定しないが、ひとつだけ不満がある。
二十八年当時、沖縄教職員会長であった屋良氏は「沖縄戦災校舎復興期成会会長」に就任し、全国を回って資金を募った。
当初、目標六千万円、期間三年と設定していたが、わずか半年で六千五百万円が集まった。
実はこの裏には高松宮殿下の尽力があったのである。屋良氏は一部の関係者だけにこの事実を語っていたが、生涯公言することはなかった。
(自分の手柄にしたってかw。まるでチョンだな)
余談になるが、殿下は沖縄のハンセン病施設「愛楽園」への支援にも尽力され、財界に呼びかけて物心両面に援助されていた。
四十八年十一月、殿下は長年のご希望かなって沖縄を訪問されたが、那覇空港には赤旗が立ち並び、「戦犯皇族帰れ!」のシュプレヒコールがこだました。
こうした社会風潮は、確実に県民のモラルを低下させていった。
沖縄県警の統計によると、平成八年度の凶悪犯の発生率は、沖縄が全国一だ。人口一万人当たりの犯罪率が〇・八九%で、全国平均の〇・五六%の一・六倍。
とかく米軍人による犯罪に対しては、いっせいに糾弾する県民だが、この統計のほとんどは県民による犯罪だ。
また、少年非行の保護処分率も三五・五%で全国平均の一一・三%の三倍以上、少年院に送る率も全国平均の五倍に近い。
戦前は徴兵や出稼ぎなどで沖縄県民は本土社会との交流があったが、今は高率補助に甘え、失業率が七・二%(八年九月、同時期の本土は三・三%)になっても県外へ出て行こうとしない。その結果、過去五年間の人口増加率は四・一%と全国平均一・六%の二・五倍にも達している。
最近、沖縄出身の社会党衆院議員が「沖縄独立のさいの法的処置について」国会で発言した。
【信義に欠けるとしかいいようがない沖縄県】がたとえ独立したとしても、世界のどの国からも対等な扱いはされないだろう。県民の猛省を促したいものである。
なんだか、難しいなぁ。
★問題ないだろ。古い神社とかでやっている古式ゆかしい儀式と同じ。
★何でこんな屈辱的な儀式再現するんだ?
★歴史上琉球がシナに冊封されていたのは事実だし、それを「たかが臣下の分際で琉球王と名乗るのは不敬の極み」なんて歴史を改竄する行為だろ。当時は日本じゃなかったんだから。
琉球王の儀式で一番重要な儀式だったのは事実なんだから、それに目くじらを立てるほうが文化や歴史に対する冒涜だと思うが...。過去にあった儀式を再現=現在の事大主義への回帰なんて無条件で繋げられる方が変だと思うぞ。
★冊封してたのは王朝政権。今の北京政府とは何のかかわりもありません。
★参観した人たちは、儀式中で用いられる中国語の響きや、中国式の最上級の拝礼とされる三跪九叩頭礼(さんききゅうこうとうれい)を琉球国王が冊封使に繰り返し行う様子や、中国皇帝が国王にあてた任命文書の「詔書」「勅書」を、留学生の林啓福(りんけいふく)さん演じる宣読官が中国語で高らかに読み上げる場面などに、興味深そうに見入っていた。
三跪九叩頭までやったのか・・・・本当に沖縄人にはプライドがないんだな。
朝鮮人だって今の朝鮮人はこんなことやらないぞ。
(ま、それだけ余裕あるってことでw)
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