おぃおぃ、随分勿体つけてんジャンw
2004年11月7日(asahi.com)
船橋洋一の世界ブリーフィング
[ 週刊朝日2004年5月21号 ]
「農民かくも苦しく、農村かくも貧しく、農業かくも危うい」。北京、上海だけで中国を見てはならない。
『中国農民調査』の真実
「われわれが見たのは想像を絶する貧困、想像を絶する罪悪、想像を絶する苦難、想像を絶する奈落、想像を絶する抗争、想像を絶する沈黙、想像を絶する感動、そして想像を絶する悲壮だった」
『中国農民調査』の共著者、陳桂棣、春桃は、中国の農村のいま、をそのように記している。
中国屈指の穀倉地帯、安徽省の農村に3年間暮らし、農民と農村と農業の実態をつぶさに調査し、それを赤裸々に描いた本である。
今年1月に出版されて以来、大反響を引き起こしたが、中国共産党宣伝部は、本の記述が中国の暗部をことさらに露出しているとして、この本を記事や論評で取り上げないよう中国の国内メディアに通知した、と香港の「明報」は報じた。その後、発禁処分になったとも伝えられている。
そうなると何としてでも読みたくなる。このほど上海に行った際、書店を回って探した。 ところが見つからない。最近はめっきり愛想のよくなった中国の売り子だが、「ありませんか」と聞くと、「没有(ない)」と素っ気ない。
その後、訪問した海南島の海口の空港の本屋で、ビニ本のような本に囲まれて1冊だけ置いてあったのを買い求めた。同じような黄と黒の縞模様のような表紙だったので見逃すところだった。
帰国すると、上海で朝食を共にしながらこの本のことを話した日本人留学生の一人から、「書店で探しましたが、見つかりませんでした。しかし、ある大学構内の書店で海賊版を手に入れました。紙質は悪く読みにくいかもしれませんが、郵送します」との内容の電子メールを受け取った。
宣伝部が何を言おうが、何を通知しようが、あるところにはある、流れるところには流れる、知っているものは知っている。それが中国の最近のメディア事情だ。
『中国農民調査』は、改革・開放に沸き、経済大躍進を遂げつつある上海などの沿海部とは対照的に内陸農村が依然、封建的、閉鎖的、そして何よりも暴力的な状態に置かれている現実を活写している。
著者の陳桂棣、春桃は安徽省出身の作家夫婦。ともに報道文学やテレビの脚本を手がけてきた。ただ、これは創作ではない。渾身の調査報道である。
こんな例が描かれている。
■98年に江沢民(チアンツォーミン)国家主席(当時)がある村を視察する前、地元当局は中央の覚えをめでたくしようと、3カ月前から貧困地区の道路の整備など突貫工事をして、大発展の“喜報”をでっち上げた。
■同年、朱鎔基(チューロンチー)首相(同)がある村を訪問したとき、地元当局は4日4晩、空っぽの穀物倉庫に千トンの穀物をトラックで搬送。豊作の“喜報”を演出した。
■ある村では、村当局幹部の予算不正使用の疑いを訴えた農民4人が副村長に斬り殺された。
■平均年収400元の村で1人当たり103元が課税された。農民たちが抗議すると、村当局幹部は彼らのリーダーを警察署に留置して、殴り殺した。
■別の村では、実弾で武装した警官隊が32台の車両で村を封鎖し、老若男女を問わず、農民の半数を連行した。連行された農民の家族は高利貸から借金して“釈放代”を払わざるをえなかった。
中国は、13億人のうち9億人が農民である。中国の将来は、農民が決める。それは今も昔も変わらない。
現在の中国の改革にしても、1970年代の農村の改革運動から始まった。農民たちが、人民公社を下から転覆させたことからすべてが始まった。
しかし、その後、沿海部の改革、とくに開放が進むにつれ、内陸農村の改革は後退していった。所得格差もまた広がっていった。中国の公式統計では、都市と農村の所得格差は3分の1としているが、実際の生活格差ははるかに大きい。
生産過剰で穀物価格が低迷する一方、農村の党・政府幹部が農民から裏口の各種負担金を徴収する。
中央がそれをやめさせようとすると、末端政府は農村の教育予算を削って対抗する。農村部の起業のため農民の立ち退きを強制する。多くの場合、それらは党・政府幹部が私物化し、食い物にする“第三セクター”でしかない。90年代、中国内陸農村の農民の反乱が各地で起こった。
「農業問題は、単なる経済問題ではない。それは党が直面している最大の社会問題なのである」
「三農(農民、農村、農業)問題は、小康社会(注1)建設に向けての大きなボトルネックとなっている」
「現在、多くの人々は、大都市から一歩も離れようとしない。彼らは北京や上海の様子でもって中国全体を推し量ろうとする。北京や上海を訪れる外国人はその様子をちょっと見て、中国がすべてこんな調子で発展しているのだと思い込んでいる。とんでもないことだ」(いずれも『中国農民調査』から)
本を読んでみて感じたのは、中国農村の血生臭さである。
農民たちから搾り取るだけ搾り取る、耐えかねて農民が上訴でもしようものなら、暴力で抑え込む。往々にして、公安(警察)が権勢者の私兵として使われる。
著者たちは現在、本で告発した幹部の一人から「名誉棄損」で訴えられている。
自らも中国農村で実態調査を行った経験のある阿古智子・姫路独協大学助教授(現代中国社会論・中国農村問題専攻)によると、最近は、中国の農民たちが、農村問題に関心のあるジャーナリストに直接、接触してくるという。自分たちの窮状を記事にしてもらおうとメディアへの接近を試みる。外国のメディアへも連絡してくる。
阿古氏は次のように分析する。
「農村ではいまは首長選挙が行われているが、うまく機能していない。郷鎮企業(注2)を切り盛りしているのも結局は地方政府の幹部。官が支配しているため、機構とポストだけは増えていく。だから、負債は膨らむ。その穴埋めをしようと農民からさらに搾り取る。
農民は村長を選ぶことはできても、党の書記は選ぶことができない。しかし、権力は依然、党書記のほうにある。その権力構造が変わらない限り、農村改革はなかなか難しい」
この本は、明らかに毛沢東が1920年代から30年代にかけて行った一連の中国農村調査(注3)を念頭に置いている。若き日の毛沢東が喝破した「調査なくして発言権なし」を忠実に実践している形だ。
本の中で、朱鎔基の次の言葉が紹介されている。
「農民かくも苦しく、農村かくも貧しく、農業かくも危うい」
改革・開放の旗手、朱鎔基も、農業・農村改革は実行できなかった。
著者たちが指摘するように、中国近代化の最大の「ボトルネック」は依然、農民、農村、農業の三農にある。
注1 国民全体がまずまずの安定した生活を享受する社会を小康社会といい、中国が目指している社会。
注2 末端行政組織や農民が所有・経営する企業のことだが、私営企業化や株式制の導入で競争に適応しようとしているところも多い。
注3 1982年の生誕89年の記念日に『毛沢東農村調査文集』が発行されている。
そんな「正式の本屋」にいくからじゃんw
繁華街の路上売りとか、腐るほどある(違法コピー)CD・DVD屋兼本屋にゃ山と積まれて、それも定価24元のが10元(この4月10日買ったとき。もうもっと下がってるかもw)で売ってるじゃん。
そんな紹介もいいけど、そんなにいいと思ったら版権取得して朝日で出版すりゃいいじゃんw
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