天皇皇后両陛下の中越地震被災地慰問から
2004年11月8日(産経抄 2004/11/08)
(略)
▼その戦いに敗れて焼土と化した日本各地のお見舞いを、昭和天皇が決意されたのは昭和二十一(1946)年二月である。
それから足かけ九年、総日数百六十五日、全行程三万三千余キロ。
当時の政府部内には反対意見も多かったが、昭和天皇は「それは自分の任務である」とおおせられて、地方巡幸を強行された。
▼神奈川県を皮切りに、天皇は各地で戦争未亡人や復員軍人や工場工員たちの陳情を「あ、そう」と聞き、「さぞ苦労したろうね」「冬は寒くはなかったかい」などとお声をかけられた。人びとは感泣し、嗚咽(おえつ)した。
皇室の伝統は脈々と息づいているのである。
日本式立憲君主制...ってよりやはり「天皇」制って言い方はまずいって言われても、西洋の君主と日本の天皇は違うしなぁ。「祭事」の主催者。御悔みも当然入るから。
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