(極東ブログ)

(略)

8日の時点では「報復か?」でもいいが、その後の動向からすでに国際的には報復とみなされている。英語のニュースでは"tit-for-tat(やられたらやりかえせ)"がすでにキーワードになりつつある

この問題がベタ記事の範囲を超えていることは、フィナンシャルタイムズが社説"Upholding Dutch tolerant tradition"(参照)で取り上げたことでもわかるだろう。

The Netherlands is facing an existential crisis in the wake of the murder of Theo van Gogh last week by an Islamic extremist and subsequent revenge attacks. For the very notion of "Dutchness" has, down the centuries, been based on social and political tolerance in an open society. And this tradition now appears strained to breaking point by Muslim immigration and the Dutch reaction to it.

【試訳】
オランダは、テオ・ファン・ゴッホ氏がイスラム教徒過激派によって暗殺されたこと、加えてその報復合戦によって、国の存立の危機に直面している。オランダ的であるということは、数世紀にわたって、開かれた社会としての社会的にかつ政治的に寛容であることを意味していた。その良き伝統が今や、イスラム教徒移民とオランダ国民の反感によって、破綻に近づいているようにも見える。

フィナンシャルタイムズが"Dutchness"、つまり、オランダモデルと言い換えてもいいだろうという点に焦点を当てているのは重要だ。というのも、日本を含め、これからの先進諸国が歩むべきモデルケースがオランダで進行していたからだ。

それが今、破綻しかけている。日本の未来のモデルが破綻しかけているのだよと言えば言い過ぎなのだろう

2004.11.14

コメント
こんにちわ。このニュースJMMの春具さんの『オランダ・ハーグより』第102回「暗殺の森」で知りました。

ドラッグ許容、同性愛婚、安楽死など、それまでの西欧のタブーをつぎつぎに制度化していったオランダの「社会のモットーともいうべき「言論の自由」「寛容の精神」がもはや機能しなくなってしまったのではないかという危惧」について、「寛容がトレードマークだった国がその寛容さのゆえに受け入れた外国人(こちこちの原理主義者だったりする、それでも受け入れた外国人)に【本来の秩序】を乱される」と書いておられたのが印象的でした。(お読みになっているかも知れませんが)

これについて思い出すのが、渡辺一夫の「寛容は自らを守るために不寛容に対して不寛容になるべきか」という文章ですね。ヨーロッパ中世の血みどろの歴史を誰よりよく知る学者として、それでも苦渋の選択として渡辺は不寛容たるべきでは「ない」と断じたように記憶しますが、ごくふつうの人間としてわたしは、ものには限度がある、という考えに傾きます


投稿者: かわうそ亭 (11月 14, 2004 05:59 午後)



寛容(tolerance)か放縦(loose)か、...

岡崎久彦氏の「オランダ史」では、商人国家の行き着く先てな感じでマイナス評価だったような気が。

西ドイツはボン基本法で「戦う民主主義(自由主義)」だったんだよね。

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