(続き・極東ブログ)

現実はどうかというと日本はまったくこの手のテロに無縁ではない。

1991年7月12日、筑波大学構内人文社会学系A棟七階エレベーター前踊り場で同大の五十嵐一比較文化学系助教授が暗殺されている。

五十嵐教授は反イスラム的とされる小説「悪魔の詩」の日本語版訳者として、当時イランのイスラム教徒の一派から死刑に当たるとされていた。

殺害方法は残虐なものだった。テロリストは、まず五十嵐教授の正面から腹部を突き抵抗力を弱め、それから二、三回にわたって左首から切り込んだ。首をほぼ半分まで切断した状態で犯行は終わった。切断はされなかったようだ

この事件は迷宮入りしている。そして10年以上の時が経ち、日本社会は忘れたことにしているかのように思える。というか、社会無意識的にそうした問題を無視したいようにすら見える。それがゴッホ映画監督の殺害についても同様に働いているように見える。うがちすぎだろうか。

事件は西洋社会への挑戦とも見えるが、オランダ国内では、即座に別の次元の問題に結びついた。オランダ社会のなかに高まるイスラム教徒移民への憎悪である。


(略)



結構首切りやってるんだけど、連中はそういうことがすぐできる訓練か何かしてるのかな?

羊の解体だとか豚の解体など相当やってから人間にかかるとかサ。いくらなんでもいきなりってのはできないでしょぉ。

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