★☆救う会全国協議会ニュース★☆
(2004.11.16-2)
■「あまりにも不自然なことが多い」−薮中局長報告
家族会、救う会、議連では、昨日11月15日、内閣府支援室で、第3回日朝実務者協議に参加した薮中三十二・アジア大洋州局長、斎木昭・同局隆審議官、伊藤直樹・北東アジア課長、小熊博・拉致被害者等支援室長から報告を受けた。
報告の中で薮中局長は、北朝鮮の調査委員会責任者が「相当時間が経過した事案で関係者が死亡したりしていることや、特殊機関が関与した事案で関係文書が拉致当事者により焼却・破棄されたしまったので調査が難しい」と述べたとのこと。
また、日本政府が、元工作員金賢姫の教育係李恩恵は田口八重子さんであると公式に確認していることに対し、今回も李恩恵という人物は存在せず、田口八重子さんはコ・ヘオクであると主張し、田口八重子さんが金賢姫と過ごした20か月の期間を、横田めぐみさんと暮らしていたと主張し、不自然な点が多かったという。
さらに、「横田めぐみさんの遺骨」と称されるものを出しながら、めぐみさんの夫と称されるキム・チョルジュンとの面会に際しては、写真撮影を拒否、DNA鑑定に使える毛髪の提供を拒否、また面会してすぐに2枚の写真(めぐみさんとチョルジュン氏、ヘギョンさん1歳の時の3人の写真)見せておきながら提供を拒否したことなど、不自然なことが多かったという。
これらは、拉致という国家犯罪を犯した北朝鮮による証拠隠滅と偽証ではないかと参加者は一様に不信感を募らせた。概要以下の通り。
薮中局長報告
今回は、徹底的な調査を行うため支援室、警察を含め19名で万全の体勢で望んだ。これまで不十分な説明であったので、調査委員会責任者の出席を求めた。
政府が収集した様々な情報を踏まえ、また、金正日国防委員長が「白紙」に戻して徹底的に調査するとの約束があったことも踏まえ、真相の徹底究明を求めた。また、多くの関係者からの事情聴取と物証の提供を求めた。
北朝鮮側からは、日本の警察に相当する人民保安機関と日本の地方行政組織に相当する人民政権機関からなる調査委員会の責任者である陣日宝・人民保安省捜査担当局長(68歳)が出席した。
北朝鮮側からは、基本方針として、「白紙」から新たに始め、具体的かつ徹底的な調査を行い、安否不明者各々に関する生死を確認することとしたこと、また調査委員会は、政府から与えられた権限に基づき、特殊機関を含むすべての関連する中央機関、地方行政組織など関連団体に対し調査を実施した、とのことであった。
しかし、調査結果は8名は全員死亡、2名は入境が確認できなかったと報告された。これは基本的に一昨年の報告と同じ内容である。
その後、北朝鮮側から、調査結果が報告された。一部の修正もあったが、説明の多くは、北朝鮮内での生活状況、「死亡」の際の詳しい状況と関係者からの証言、その際の物的証拠の有無、であった。これらについて、1件ごとに説明があった。
以上を聞き、我々はあまりにも不自然な点が多いので、我々が持つ情報も前提に、詳細に疑問点を突き付け、さらなる説明を求めた。これに対し北朝鮮側は、「相当時間が経過した事案で関係者が死亡したりしていることや、特殊機関が関与した事案で関係文書が拉致当事者により焼却・破棄されたしまったので調査が難しい」と説明しつつ、追加的な説明を行うとともに、日本側が求めた関係者との面会のアレンジや物的証拠の提出には同意した。
拉致の責任者は、北朝鮮より、特殊機関の2名を処罰したと述べたが、これは2年前の説明と同じ人物であった。他の実行犯や関係者も降格や除隊などの措置がとられたとの説明があった。
面談や現地視察については、まず横田めぐみさんの夫であったとされるキム・チョルジュン氏と面会した。本人の仕事上の立場もあるとして面会の実現は難航したが、ようやく面会にこぎつけた。冒頭、少しだけキム・ヘギョンさんが同席した。またこの時、結婚当時の2人の写真とヘギョンさんと3人の写真を見せられた。また、生活状況やめぐみさんの病気の状況について説明があった。さらに
めぐみさんが入院していたという病院視察と主治医からの聞き取り、現在使われていない招待所を視察した。
その他文書に書かれている12名の関係者と面談した(田口さんと原さん、石岡さん・有本さん、が生活していたという招待所の職員、石岡さん・有本さんの「事故」があったとされる場所の招待所の職員、松木さんが生活していたとされる招待所職員、横田さん、原さんを診察したという歯科医師、原さんを診察したという内科医、増元さんを「検視」したとされる内科医、上記3名の所属する病院の副院長・内科医であったとされる医師、市川さんが訪れたとされる海水浴場の会計担当者、市川さんを「検視」したとされる医師、市川さんの「検視」に立ち会ったとされる看護婦、田口さんの「事故現場」とされる道路を管理していた道路管理員)。
物的証拠は以下のものを入手した。
横田めぐみさん=日本での生徒証1枚、自筆のメモ(めぐみさんの略歴や家族関係が書かれたもの)1枚、写真3枚、カルテの綴りの写し190ページ分石岡 亨さん=写真1枚(以下有本さんと共通)
有本恵子さん=1988年11月3日の熙川における気象関連資料1部、熙川招待所の略図
松木 薫さん=松木さんが作った書籍1冊、写真1枚、トチョル嶺交通事故資料の写し1部
田口八重子さん=マシク嶺交通事故資料の写し1部
市川修一さん=1979年9月4日の元山における気象関連資料1部
増元るみ子さん、原敕晁さんの物的証拠はなかった。
また、拉致の「責任者」2名の裁判記録の一部の写し1部とその他の関係資料を入手した。
特定失踪者については、これまで情報を求めている4名(田中実さん、小住健蔵さん、松本京子さん、藤田進さん)に加え加瀬テル子さんについて情報を求めたが、入境が確認できなかったと説明された。
さらに、日本側からの指摘の有無にかかわらず、日本人に関する情報があれば提供するよう申し入れた。
日本側より、「よど号」犯人グループの拉致への関与を明らかにするとともに、これまで引渡しを求めた3名の拉致容疑者(辛光洙、金世鎬、魚本公博)について改めて引渡しを求めた。
最後に、ペーパーには書いてないが、先ほど横田家の家族の方々に、この場で報告することの了承を得たことを報告したい。われわれは、めぐみさんが病院の裏山で自殺したとされる現場を見た。また、キム・チョルジュン氏とのやりとりの中で、これがめぐみさんの遺骨というものを渡してほしいと言われ受け取った。これから鑑定にかける。
これまで、150の質問をぶつけてきたが、まともな答えはなかった。今回はそれなりに説明し、また証言も聞けた。そこは今までと違う対応であるが、あまりにも不自然なことが多い。まずは、50時間近いやりとりを整理、精査することが必要だ。皆様の期待を裏切る結果となった。疑問を突き付ける工夫をした。
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