【論説】孫文は「中華民国」の「国父」なのか
世界台湾同郷会 副会長 林建良(りんけんりょう)
孫文は中華民国の「国父」なのか、台湾とはどのような関係があるのかについて、台湾ではちょっとした騒ぎになっている。
元々孫文が国民党によって、いわゆる「国父」として神格化されたのは、1940(昭和15)年(真珠湾攻撃の前年)のことである。
当時、汪精衛が日本との協力の下、南京に「中華民国政府」を樹立したので、蒋介石は、「自分こそ本当の中華民国(重慶)政府代表」と強調せんがため、孫文を「国父」として祭り上げたのである。
(「正統性」争いネ。「祖先をでっち上げる」という大陸半島お馴染み策だったとw)
しかしなぜ、それ以前に孫文は「国父」と尊称されなかったのか。
それは、実際に中華民国を樹立したのは孫文ではなく、辛亥革命も孫文と全く関わりがなかったからである。
1911年10月10日の武昌暴動(「蜂起」なんて計画的なものじゃなかった模様w)は、中国同盟会によって発動されたのではなく、同盟会内部の紛争に嫌気が差して分裂、独立した「共進会」(中心人物は孫武)と「文学社」(中心人物は蒋翔武)が、清朝の軍隊(これも私軍だからネ)を利用して起こした武装クーデターだった。
当時、孫文はアメリカにいて、武昌暴動のことを全く知らず(つまり計画したわけでも何でもないw)、12月末にやっと帰国した。
翌年1月1日成立した中華民国臨時政府は、知名度のある適当な人物が見あたらなかったため、孫文を、「臨時大総統」に就かせたのである。このため、孫文の「臨時大総統」は、名前だけで実権のない飾り物にすぎなかったのだ。
(だから、形だけの新政権もすぐにでも崩壊の危険にあったので)就任して2ヶ月足らず、彼は「臨時大総統」の地位を(清朝の私軍北洋軍閥の棟梁である)袁世凱に譲ったのである。
袁世凱就任後始めて、混乱な局面の収束が図られ、(曲りなりにもw)中国が統一し、中華民国が正式に成立した。
(それ以前もそうだが)中華民国の正式樹立以降、孫文は、中華民国の指導者だったことはない(という)これらの歴史(的)真実は、全世界の中国史研究者によって公認されており、台湾だけが未だに、国民党が作り出した「国父」神話によって、真相を覆い隠されている。
(ま、赤支那大陸がもっと「政治的に=自分の都合いいように」利用してるけどネ。
「中山路」「中山公園」「中山広場」ったら、どこの都市に行ってもあるんじゃないの?w)
建国の功労者でもない人を、「国父」として祭り上げたのは、ネタを明かせば、蒋介石が自己の政治的野心のため、孫文を利用したに過ぎない。
(自分の女房の宋美齢の姉が、孫文の25歳だか年下後妻の宋慶齢だから姻戚関係になるもんな)
この種の政治神話は、少し頭を使って考えれば、真相は自ずと分かるものである。残念なながら、台湾の多くの人たちは、このことを深く考えず、騙され続けてきた。
「国父」の虚像は、まさに虚像国家「中華民国」の象徴である。この種の神話は、海外ではちっとも通用しない。
それなのに(内戦敗残私軍を構成した外省人の)「中華民国」政府は、(外省人が中枢を占める)教育(とテレビ・新聞などマスメディア)を通して台湾人を洗脳し強制している。
「国父」は、国民党が中華民国を正当化し、台湾人を騙す最後の切り札であり、彼らはそれにしがみつかざるを得ない。
悲しむべきは、台湾人が彼らに伍して、全く台湾と関係ない孫文を「国父」として崇めていることである。
このような行為は、妄想を真実と思うに等しい。
歴史の真実を追究しないで、曖昧模糊としたまま孫文を「国父」として崇めるなら、台湾人の祖先は、地下で涙にむせぶだろう。
北一輝は散々な評価下してるね。
んじゃこのおッさん何だったのよってぇと、口ばっかの「孫大砲」てな渾名つけられた「有言不実行」のお花畑オジサンだったらすぃw
手は早いんでねぇかな。一番上のおネェちゃん宋靄齢が金持ち孔子何代目かのおっさんと結婚するんで代わりに秘書として差し出した次女の孫ほどの慶齢を手篭めにしちゃうんだもんなw
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