「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
平成16年(2004)11月25日(木曜日)
香港で撤退した筈の日本企業が静かに復活している
やっぱり金融と企業統括、中央管理を中国で行うのは無理
一年ぶりに香港に二日ほど滞在した。
97年の香港返還(7・1)後、香港の主要産業であった不動産価格の暴落と国際金融資本の撤退により、失業率が高騰、香港経済は「暗闇に沈没した」とまで言われた。
イギリスは返還直前に数多くのプロジェクトを発注し、ジャデーン、スワイアなどの英国企業がふんだんに潤った。
新空港、ハイウエィ、地下鉄の新線など一度に建設し始め、イギリス政庁は、香港の予算を使うだけ使って97年7月1日に逃げた。
(インフラ置き土産じゃないの?w)
HSBC(香港上海銀行)は、はるか以前にシンガポールへ上場先を移し、ついで英国大手ミッドランド銀行を合併し、イギリス本国企業へ衣替えしていた。
啓徳空港は廃墟、周辺の工業地区はミシン音も聞かれない幽霊地区と激変した。
香港経済の劇的な後退は邦銀および日本の証券会社の撤退にも象徴され、あまつさえマスコミも半分が香港を去った。産経も日本テレビも香港支局を閉じた。
香港情報は株式中心の日経をのぞいて、報道価値が薄くなった、とされた。
その香港が甦ったのだ。
第一は中国本土からの夥しい観光客の襲来だ。
来年九月にはランタオ島にディズニーランドが開園するため、観光客は倍加するだろう、と予測されている。
すでに交通アクセスは完備、付近には高層マンションが建ち並び、新都市ができている。驚き桃の木山椒の木。
都心の繁華街のホテル。小生の定宿が、いつもの値引きをしてくれないので理由を尋ねると、中国人の宿泊で満員、強気一点張りだった。
第二に人民元の地域カレンシー化だ。前述の年間一千万人を越える中国人が落とすホテル、食事、土産代など。香港では自由に人民元が使える。
人民元106対香港ドル100というレートで、どのホテルもレストランも土産店も人民元圏入りしている事実が物語る。
一説には大挙中国から売春婦も流れ込んでいるという。
第三はマネー・ロンダリング機能がある香港市場の利用価値である。
従前より中国国有企業は香港に上場して荒稼ぎをした。
中国からの企業投資、怪しげな中国のペーパーカンパニーは、急発展の深センより、香港のように古くから国際金融に慣れ親しみ、ベテランの証券、銀行マンが豊富にいて、しかも取引が電子化されたタックス・へブンは便利このうえない拠点たりうるからである。
機を見るに敏なHSBCは、すぅーと上海に復活し、森ビルの広告塔、壁面をすべてHSBCで飾り立てた。香港ドルの新券は美しい印刷バージョンを出した。
香港の経済蘇生ぶりはフィリピンからのアマさん達が、じつに18万人となった事実からも類推できる。
香港では中産階級でもマンション部屋の管理、掃除・洗濯・炊事・買い物にフィリピンのアマさんを雇う。ついで言えば香港の中産階級は家で朝飯をとらない。たいがいが屋台で簡素な食事だが、アマを雇う家庭は食事をとって子供を保育園や小学校にも送迎させる。
(大陸では阿姨アィェと言うな)
返還前、フィリピンからの出稼ぎ女は五、六万人、日曜日となるとあらゆる広場、公園がフィリピーンノで溢れた。いまも携帯電話で国元とはなしたり、日がな一日お喋りに熱中している。彼女たち専門の金貸しは、日曜日が一番の稼ぎ時だった。それが18万人と言うことは、確実に香港経済が成長している証拠なのである。
そして日本企業が静かに甦っていた。
領事館が把握している香港在留日本人は18,000人だが、おそらく24,000人が常時滞在しているだろう、と推定されている(或る晩、チムサチョイ(=香港の新宿)で食事を摂ったが、たまたま入った広東料理のレストラン、九割が日本人だった)。
香港は日本人に対して90日間、ビザが不要。
★89日目にひょいとフェリーでマカオへ行って博打をして帰って来ても、また90日滞在できる(72年に筆者が初めて香港へ行ったとき、一週間以内ビザ不要。翌年一ヶ月ほど香港で滞在したが、わざわざイギリス領事館へ出向いて面談のうえ、ビザをもらった)。
★広州、深セン駐在組も似たようなもので、現在、中国は日本人に対して15日間ビザ不要措置をとっている。すると、ちょいと香港へでて、その日のうちに帰ってくれば15日延長が可能、短期商談、エンジニアなどは皆、そうしているのである。
広州と九龍は鉄道の特急で一時間40分である(ちなみに筆者は往路を地下鉄、九龍鉄道を乗り継いで羅府まで。そこから香港を出国し、深センへ入国、駅から特急で広州東駅まで。合計三時間でした)。
なによりも香港の有用性はアジア拠点としての国際金融上の利用価値なのである。
それは広州、深センなどに工場をおいている日本企業でさえ送金、仕入れ、流通在庫管理、財務など税制上からも便利なことこのうえない香港に集中させてビジネスの一元管理的な処理ができるからである。
★日本企業は広州を中心にして珠海デルタ工業ベルト地域におよそ一万社以上が進出している。
広州は本多、豊田という日本を代表する巨大自動車メーカーが進出したため、電装、ハーネス、塗装、自動車部品、ディーラー、金融など関連会社は一斉に進出。
隣の東完、虎門、厚門、中山、順徳、恵州などにはソニー、東芝、シャープ、三洋など数え切れない日本企業。
しかしなぜかくも日本企業は広州ベルト地帯が好きなのか?
香港ほどビジネスライクでもなく、多少は情緒も通じるうえ、基本的に日本人と広東人とウマが合うからである。
それらの拠点と化す香港、一昔前の重要度より、今日的価値において、香港の役割も急速に変貌しているようである。
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