(外務省基礎データ)
1.面積:60万3,700km2
(我が国の約1.6倍で、欧州ではロシアに次いで大きい)
2.人口:4,836万(2003年世銀)
3.首都:キエフ
4.民族:
ウクライナ人(72.7%)、ロシア人(22.0%)、ユダヤ人(0.9%)、ベラルーシ人(0.9%)(1989年ソ連国勢調査)
5.言語:公用語はウクライナ語
6.宗教:ウクライナの民族宗教としては、ウクライナ正教及びウクライナ・カトリック教。その他、ロシア正教等。
7.略史:
9〜12世紀にキエフ・ルーシを形成。
この国家は13世紀初め、モンゴル族の侵入によって最終的に崩壊。(タタールの軛)
東スラブ族の中からロシア人(大ロシア人)、ウクライナ(小ロシア人)、ベラルーシ人(白ロシア人)が分化。
14世紀にはウクライナの大部分はリトアニア大公国、一部はポーランドの支配下。
1569年、両国が合併し単一のポーランド国をつくると、ウクライナは同国領土となった。
厳しいポーランドの圧制に対しウクライナは種々の反抗を行なった。1654年独立運動の指導者ボグダン・フメリニッキーはロシア皇帝に対しポーランドからの保護とロシアへの合併を申し入れた。右を受け入れたロシアはポーランドと戦い、ドニエプル左岸及びキエフの領有を承認させた。はじめロシアはウクライナの自治を認めたが18世紀後半には完全にロシアの一部とした。
1917年の革命後、一時完全独立を宣言する政権が成立。しかし同時にソヴィエト政府も誕生し、以後3年間にわたる内戦に突入。
1919年ウクライナ社会主義共和国成立を宣言。1920年ソヴィエト・ロシアとの軍事同盟締結。1922年12月ソ連邦の形成に参加。
1990年7月16日共和国主権宣言。
1991年8月24日独立宣言、国名を現在の「ウクライナ」と変更。
同年12月1日に独立に関する国民投票(投票参加者の90%以上の圧倒的多数が独立を支持)。
ウクライナの独立はソ連邦崩壊の契機となる。
(極東ブログ)
(略)
ウクライナは日本とはあまり縁のない国です。多くの日本人はウクライナのことをよく知らないと思います。チェルノブイリ原発事故では有名ですが、被害が大きかったのはウクライナよりもお隣のベラルーシです。
ウクライナにはチェルノーゼムで有名な肥沃な国土はあるものの人材や技術が十分にありません。外貨を獲得できる基幹産業もなく経済的にはとても貧しい国です。また、ウクライナは長年ソビエトの支配下にあったために、そのアイデンティティも希薄になっています。
この希薄なアイデンティティを象徴するものがウクライナの言語事情だと言えます。ウクライナの公用語はウクライナ語ですが多くのウクライナ人はロシア語を使うことができます。実際、ロシア語とウクライナ語はかなり類似しています。
しかし、言語事情はウクライナの東部と西部で全く異なっています。
東部にはロシア語はわかるがウクライナ語はわからないという人が多くいます。例えば、首都のキエフという町ではロシア語のテレビ番組、新聞、音楽があふれかえり、ウクライナ語はほとんど理解されません。
西部ではその逆です。例えば、ポーランド国境に近いリヴィウの人々はウクライナ語に高い誇りを持っています。リヴィウではロシア語は完全に「外国語」なので、「スパシーバ」(ロシア語)なんて言わない方がいいです。
(略)
いずれにせよ、言葉までが違っているなら国家としての宥和は難しいだろう。もともとかつてのウクライナ独立運動は弾圧されたウクライナ語の解放がその民族的な情念の焦点だった。
余談だが、ゴーゴリはウクライナ人だがロシア語を使っていた。
言語と民族性は必ずしも一致しているものではないが、民族幻想は往々にして言語にアイデンティティを抱きやすい。
余談が多くなるが、私が以前台南に旅行したとき現地の老人が極めて流暢な日本語を話している際、どうしても私には彼らが日本人しか見えなかった。言葉というのはそういう幻想を生み出しやすいものだ。
(略)
1930年代にスターリンが行った強制的農業集団化で起きた飢餓の惨事
(略)
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